切り切りMme

自作の切り絵を紹介する

ノリタケカレンダー11月

「コーヒー喫む美術秋の森の中」(山口青邨

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天気予報は先週から今日月曜日は雨ということでしたが、何とか傘を一度も出すことなく無事に「美術の秋」満喫です。

「雲のやうに生きて時折美術展」(半田綾)

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最近、ほとんど家に籠っては切り絵をしていた所為か、すぐに歩行が苦痛になります。そんな中、ふと有楽町でビルから偶々出て見ましたら、オシャレなビルが立ち並ぶ中にぽつりと木々とベンチのある一角に出くわしました。「よっこらしょ」と座っていましたら、何やら子供の楽しくはしゃぐ声がします。ルイビトン、ブルガリティファニープラダ...そんなオシャレなマダムが闊歩する中から、まさか小学校?っと声のする方に行ってみれば、重厚感のある建物の前の校庭というよりも庭園らしきところで子供達が遊んでいます。制服を来ているので、私学かなあっと思いつつ、「まさかこの紺色の制服、アルマーニ?」この春に話題になった銀座の公立小学校??もう一歩も歩きたくないぐらいに疲れていましたが、下世話な好奇心は抜けることなく、校門までぐるりと足をのばしてみましたら「泰明小学校」と。ピーンポーン。しっかり写メです。みなさん、伸び伸びと着替えもせずに例の制服姿で遊ばれていましたが、洗い替えも当然購入されているのでしょうね...っと庶民の財布しか持ち合わせない者には、無邪気な子供達のかくれんぼうまでが、気品に満ちて見えるとは...これこそが、アルマーニを制服に賛同する親御さんの意図にはまっているのでしょうね...ホトホト、今日の私の財布には千円札が一枚だけ...一切財布を使わずに過ごす小市民、いえ、キャッシュレス時代に乗っていますなどと、強がりはやめます。

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La politesse est une monnaie destinée à enrichir non point celui qui la reçoit, mais celui qui la dépense.

ノリタケカレンダー十月

「冬晴れつぎの標もバスを待つ」(大野林火

昨日右足の中指裏にマメを発症していたようで、それを庇う様に歩き、歪みが生じたのか、少々歩行に難儀。行きなれた山種美術館までは良かったのですが...

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この美術館だけなのか、今回は一枚だけですが、撮影の許可されるマーク表示があります。その作品、下村観山「老松白藤」の前で皆さんスマホをかざしておられましたが、フランスに行った折、フラッシュさえ使わなければ、概ねどこの館内撮影は自由になっていましただけに、このギャップは何故なのでしょう?

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ハチ公バスを時刻表通りでもないのですが、歩くよりはと待っているのに気長になれば、かなり歩数節約となり、新国立競技場を覗いて来ました。先日通りがかった折は休日なのに、工事者にトラックの往来で切羽詰まった雰囲気が漂っていましたが、人っ子ひとりいない静かな現場でした。予定通り進めているとは、さすが全国網持つ大企業大成。前回も、前々回の開催地では、間際まで工事をしていた報道が思い出されます。さすがニッポン!!この違いが館内の撮影禁止と厳しさと重なるのでしょうか?

 11月18日は「十+一=土 十+八=木」 で土木の日だとか。大業労わる日になりますように。ご苦労様です。

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Celui qui est nvesévère ers lui-même et indulgent envers les autres évite les mécontentements.

 

ノリタケカレンダー九月

「風もあるもなくも散るなり大銀杏」(長瀬勇) 

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昨日はあきる野市の広徳寺へ。日々、うちの部屋の壁に掛けていました銀行から頂いたカレンダーの11月12月絵写真が余りに見事で、珍しい茅葺の山門が苔むした風情を拝んでみようと、天気も良く行って参りました。

「銀杏散る庭は黄色く染まりけり」(古堂周子)

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銀杏がどこまで黄色に染まっているのか、先日の落羽松の当て外れの直後だけに、期待はしていなかったのですが、あきる野市は私達の気持ちに応えてくれました。お陰様で、カレンダーの映像と重ねることができましたした。ひらひらと実までが頭に落ちてきました。

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随所にこのポールが設置されていました。茅葺なので、火災に備えたスプリンクラーのようですが、かなり錆付いた風情でしたが、機能は万全なのでしょうね。行く人の中から、「大したことないかなあっと思ってたけど、いやあ、見ごたえあったなあ」そんな声がここそこから聞けました。抜群のタイミング。さて、最終帰宅日21日に落羽松も舞うことを願って止みません。

「散り尽くす銀杏大樹や天を突く」(松山寿美)

羽生君練習中転倒ニュースには、悲嘆の声があちこちから漏れたのでしょうか。それでも、踏ん張る彼には脱帽ですが、何とか療養に務めて頂きたいですね。ご養生下さいませ。

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Tu ne seras jamais vieille, tu n’auras jamais la maladie d’Alzheimer que tu craignais tellement, tu es partie en beauté, un gracieux roulé-boulé dans les feuilles de l’automne. Les parachutistes font un roulé-boulé quand ils descendent du ciel et toi, tu l’as fait avant de monter.

 

ノリタケカレンダー八月

プラタナスの葉は散り果てぬ靴磨き

  冬さるる畑に乾ける靴の泥」(萩原朔太郎『遺稿』より)

コンバインにトラクターの入った倉庫の隅には、冬になると、父の長靴がセメンで固めたように泥が干からびていました。それをこそっと、石膏のデスマスクを作るように、剥がすのです。冬の一コマ。

「天高し磨き上げたる靴の先」(塩田命水)

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珠にNHKの「ドキュメント72時間」という番組を見る機会があります。先日は「さらば築地市場」をやっていましたが、昨日有楽町の交通会館を訪れたら、いつでしたかこの番組で取り上げてられた「路上の靴磨き」さんに出くわしました。千葉尊さんの「千葉スペシャル」の現場です。出で立ちは、蝶ネクタイにハンチングスタイル。昨夕は十数人が並んでおられたでしょうか。女性もおられました。1100円とありましたが、きっと皆さんそれなりのお値段の靴を履かれているのでしょうね。ふと、吾が足元を振り返って、隠しようのない型崩れまでおこした靴先に、住む世界のギャップ痛感です。

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“Si vous êtes bien coiffées et que vous portez les bonnes chaussures, vous pouvez gérer n’importe quelle situation.”

ノリタケカレンダー七月

「雲上に富士と出逢ひぬ旅始」(石本秋翠)

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今日から秋紅葉巡りの東京です。

「ワイルドに根ばる古杉や天高し」(遊雀

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今年こそはと、四度目の落羽松の乱舞に心躍らせ新宿御苑へ。数日の小春日和続きの所為でしょうか。去年より遅めに来ましたが、去年より紅葉すらが遅れています。その前の年は遅過ぎ完全に葉がなくなっていましたので、去年は11月初めに絞りましたら、無理無理木々を揺すると数枚かチラチラと落ちる程度。それではと、今年は中旬にしましたのに、去年よりも葉が青々としています。来週水曜日まで東京ですので、最終日までには冷え込むことに期待して再度訪れる予定です。

「セコイアの梢かすめて星流る」(前川嘉風

未練たらたら、近くのベンチで強風が吹くのを眺めていましたら、横の立て看板でいい拾い物をいたしました。「ぼうっと」していては、公園の随所にある解説書の大事な情報も見逃していますね。セコイアと落羽松の葉はよく似ていています。上の写メがそうですが、くっきりと区別できるのです。思わず二種を拾ってみて感動です。セコイアの葉は左右が対称形になっていますが、落羽松は葉元がずれているのです。隣同士に植わっているのですが、どんなに落ち葉は混ざろうとも、どちらの葉なのか一目瞭然とは。刷り込まれた遺伝子かと思うと、我ら人間の性も一代限りで変えようなどとは、恐ろしきことなのかっと,二種の葉の姿が教えてくれているようです。

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Appareil végétatif[modifier | modifier le code]

Le cyprès chauve est un grand arbre pouvant atteindre 30 à 50 mètres de haut pour un diamètre de tronc de 2 mètres. L'arbre vit de 300 à 500 ans1.

Le feuillage léger, gracieux et souple est formé de feuilles claires, aplaties et aciculaires, disposées en spirales sur les rameaux mais tordues à leur base, ce qui les fait paraître disposées en deux rangs aplatis. Elles mesurent de 1 à 1,6 cm de long sur 1 à 2 mm de large[réf. nécessaire]. Elles sont caduques, tombant à la mauvaise saison1Ce dernier caractère est à l'origine du nom de cyprès « chauve »[réf. nécessaire].

Les cyprès chauves vivant dans les marais se distinguent par la croissance de racines aériennes particulières, les pneumatophores. Ces organes lignifiés, qui peuvent atteindre 1,7 m de haut, émergent du sol ou de l'eau tout autour du tronc. Leur fonction semble être double. D'une part, ils assurent la fourniture en dioxygène du système racinaire immergé qui risquerait sans cela l'anoxie ; d'autre part ils permettent une meilleure stabilisation et un meilleur ancrage de l'arbre dans le sol très souvent imbibé d'eau1.

ノリタケカレンダー六月

「合わせ手の小さくずれて七五三」(今瀬一博)

今日11月15日は七五三。なぜ、今日11月15日になったのでしょう?

7+5+3=15という説もないわけではないようですがとりあえず以下解説です。

>それは体の弱かった、将軍徳川家光の子供、徳松(後の将軍、綱吉)の健康のお祈りをしたのが11月15日。そのお祈りの後、徳松がすくすくと成長したことにあやかって七五三の式日として広まったと伝えられています。

また、旧暦の15日はかつては二十八宿鬼宿日(鬼が出歩かない日)に当たり、何事をするにも吉であるとされ、旧暦の11月は収穫を終えてその実りを神に感謝する月であり、その月の満月の日である15日に、氏神への収穫の感謝を兼ねたという話や、七五三をすべてたした数が15になるこたからとも言われており、15日にまつわるエピソードは多いようです。しかし、現代では11月15日にこだわらず、ご家族やお子様の都合に合わせてお祝をする事が多くなってきています。

「偲ぶ日もなつかしむ日も七五三」(稲畑汀子

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近くの神社に登っていかれる親子連れのキラキラした声が朝方していて気づきました。天気に恵まれ、晴れ着も安泰ですね。

「この子やに未来はありや七五三」(清水昶

先ほどラジオから聞こえてきました。稀勢の里休場、横綱不在の九州場所となりましたが、三大関も負けとなる今夕。若手台頭と、思いたいですが、もうひと踏ん張りもふた踏ん張りも望むのは酷でしょうか。厳しい国技です。

「子供らの名を呼びたがふ七五三」(福田甲子雄)

祖母には娘が三人、孫が8人いましたが、どうした訳か、私の名前がいつも三女の娘の名前と違えるのでした。母によれば、「妹に一番あなたが似ているのよ」と。主人によれば、その祖母に一番似ているのが私なのだと。そういわれてみますと、祖母の部屋の片づけをした時に出てきた一冊の手帳が気になりだしました。銀行が年の暮れに配って下さる手帳。毎年書いていたのかどうかはわからないのですが、びっしり書き留めた文章、また読み返してみようかと思いつつ。祖母の年齢にはまだまだ追いつきませんが、その差が縮まる度に、通じ合うことも増えるのかもしれませんが、後の祭りとは。何とか、相撲界にも次世代へと、繋げるためにも、奮闘願うばかりです。

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On dit que Shichi-go-san trouve son origine à la période Heian parmi les nobles de la cour qui célébraient le passage de leurs enfants dans l'enfance moyenne. Les âges de trois, cinq et sept ont un lien avec la numérologie japonaise. En effet, selon la numérologie japonaise, les chiffres impairs portent bonheur. La coutume de célébrer cette fête au quinzième du mois date de la période Kamakura1.

Avec le temps, cette tradition a été adoptée par la classe des samouraïs qui y ont ajouté quelques rites. À l'âge de trois ans la coutume exigeait de raser la tête en ne laissant que le haut du crane. Les garçons de cinq ans pouvaient porter le hakama pour la première fois, alors que les filles de sept ans remplaçaient les cordes simples qu'elles avaient l'habitude d'utiliser pour attacher leur kimono avec la ceinture traditionnelle. À la période Meiji, la pratique a été adoptée par le peuple, depuis un nouveau rite a été ajouté : celui de se rendre avec ses enfants dans un sanctuaire shinto ou dans un temple bouddhiste, et prier pour qu'ils grandissent en bonne santé2.

 

ノリタケカレンダー五月

粕汁にあたたまりゆく命あり」(石川桂郎

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今朝のニュースから聞こえてきた、旭川、網走、稚内での初雪。平年より20日前後も遅れていたのだとか。こちら関西も風がきつく、一気に冬到来。鍋に熱燗、うちの定番料理の粕汁の季節です。

粕汁やあるほどのものぶちこみて」(石塚友二

鮭に鰤が椀の中から目を向いているのが、豪快なのかもしれませんが、我が家は薄切りの豚バラ。トン汁の具が粕入りすまし仕立てで野菜は大根と人参。他は蒟蒻に薄揚げと竹輪。姑から教わり、我が家の手料理ナンバーワン。想えば、初めてこの地のこの家に赴き、頂いた料理が、粕汁、開きサンマ焼き、南瓜煮だったでしょうか。寒風吹き冷え込んだ日でしたが、気負わないながら細やかな心遣いに、真から温まりました。そうして、ここから姑の私教育が始まっていたのかもしれません。「今日も、作っていますよ。今日の味はいかがでしょうか?」声にならない顔に守られています。「気張っていますよ!」

粕汁もやもやもやがてのみほす」(こしのゆみこ)

今日は九州場所四日目。「ものいい」入り、稀勢の里4連敗とは。行司の軍配でいいのではという時代ではないのでしょうが、機器の進化が国技の美徳を殺しているなどと、言っては、公平さがなくなるのかもしれませんが... 

 

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“Il faut juger à froid et agir à chaud.”