切り切りMme

自作の切り絵を紹介する

ウオールスティッカー:ムーミン

「千手ことごとくくれなゐ曼殊沙華」(鷹羽狩行)

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「曼殊沙華はがねの力もてひらく」(北さとり)

まだまだかと思っていましたが、彼岸ともなると、名前に漏れず咲き出すのですね。別名曼殊沙華、死人花、捨て子花っと余り良きイメージのない花ですが、この季節ならではの花。

「なかなか死ねない彼岸花咲く」(種田山頭火

昨日は、「アルツハイマーデー」でしたので、新聞の下段図書案内にも「認知症」の名の入った本が並んでおりますが、毎夜最近のテレビ番組の目玉は「何を食べるか」的特集が多く、情報だけは頭に残っていくのでしょうか。この句の切なる願いが身に沁みます。

 

f:id:masasarah:20170922065433j:plainLa maladie d'Alzheimer (en allemand alʦhaɪ̯mɐ) est une maladie neurodégénérative (perte progressive de neurones) incurable du tissucérébral qui entraîne la perte progressive et irréversible des fonctions mentales et notamment de la mémoire. C'est la cause la plus fréquente de démence chez l'être humain. Elle fut initialement décrite par le médecinallemand Alois Alzheimer en 19061.

 

ウオールスティッカー:刀剣乱舞ミニサイズ

「サーカスの檻の列行く鰯雲」(土肥あき子)

「大空を泳ぎはじめて鰯雲」(稲畑汀子

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漸く撮れたうろこ雲です。さて、あなたにはどんな姿が見えるでしょうか。昔、息子が車窓から見える雲をみて、「おかあさん、ほらほら、〇〇が居るよ」と言って、初めて我が身の心の貧困さを実感したのでした。

『折々のことば』から

「美味しいもの、美しいもの、面白いものに出会った時、これを知ったら絶対喜ぶなという人が近くにいることを、ボクは幸せと呼びたい」(燃え殻)

会社員委作家の小説「ボクたちはみんな大人になれなかった」からだそうです。

Là où l'humour est partagé, l'amitié n'est pas loinもあれば
Le bonheur n'est vrai que quand il est partagé.

 

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Le bonheu

 

r n'est vrai que quand il est partagé.

ウオールスティッカー「刀剣乱舞」

「草いろいろおのおの花の手柄かな」(松尾芭蕉

夏中緑のカーテンも涼風吹き出し、お役御免となったのでしょうか、片づけられすっきりとした軒下になったおうちを見かけますが、うちの苦瓜は漸く生り出しました。何せ、店屋さんに並んだ実を食べてからその種を播きましたので、かなり後発隊です。同じく、オクラに唐辛子に三度豆も花が咲き、結実した小さな実を発見中です。

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「野路の風低くとらへて草の花」(南部静季)

苦瓜は台風で振り落とされないようにと収穫して、予定ではコウヤチャンプルとシーチキン和えにしようと、豆腐に豚バラ肉にと揃えたものの、湯がいた苦瓜は一握り。致し方なく、一番ミニ缶のシーチキンと和えました。小鉢に入れて漸く一品に。でも、味は最高。さすが採れ採れ。C'est bon!

「帰る家ありて摘み取り草の花」(小島健)に

無人駅牛乳瓶に草の花」(本宮哲郎)

「草の花コップに飾る飯場かな」(姉歯義ひろ

幸せっというのはこういうものなのだなあっと。この句の解説の中で、フリップ・ドルレムの本からの引用がありました。

「幸福であるのは当たり前のことではない。僕にはただ、多くのチャンスがあり、それが通り過ぎる間にそれを名づけたいという願いがある。芝居では、人々は桜の園が競売に付されるのを待ち望み、雪のような花々を懐かしむ言葉に出会うことになる。僕としては、それが売り物になる前に自分の桜の園を歌いたいものだ。僕は、人生からちょっと引っ込んだところ、まさに時間の流れからはずれて立ち止まっている」(山本光久訳)

Je n'ai pas raison d'être heureux.J'ai simplement beaucoup de chance, et cette envie de la nommer pendant qu'elle passe.Au théâtre on attend que la cerisaie soit mise en vente pour trouver les mots qui savent regretter les fleurs de neige.Je veux chanter ma cerisaie avant qu'elle ne soit à vendre.Un peu en retrait de ma vie, juste à côté des heures, je me suis arrêté. (iPhilippe Delerm: Le Bonheur Tableaux et Bavardages))

 

フリマに向けて、作ったウオールスティッカーを切絵にしたシールです。刀剣乱舞のこのキャラは人気で二つ作りました。

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テーブルセンターー大島ベージュ色

「野葡萄の瑠璃一粒空真青」(菊地恵子)

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昨日は少し早めになりますが、彼岸の墓参りに出向いて来ました。その途中で見かけた野葡萄。絵に映える植物です。この奥にあった空き家はついに朽ちてしまったのか跡形もなくなっていました。

「野葡萄に古代の玉の色見たり」(山村修

今日も秋晴れ、どこからともなく運動会の練習の太鼓や笛の音が聞こえてくるかと耳を澄ましても、静かな平日です。いつのころからか、運動会は春開催が多くなってしまったのでしょうか。毎年あの威勢のいい音が聞こえると慌てて虫干しをしたような気がします。別に、運動会開催時期の変化の所為でもないのですが、久しく着物が箪笥の中で眠り続けています。先日、着る予定が出来て吊るしてみましたら、裏地にひどいしみです。姑と昔は二日がかりで樟脳のにおいを充満させながら干したものでしたが,号令を掛けてくれる姑もゐなくなり、着物たちは息苦しくなり、箪笥の中で悲鳴をあげていたようです。思い切って私のお気に入りの大島を解いて型染めにすることにしました。

 

クリーム色で縞模様が入っているのですが、シミ隠しに濃いめに染めてみました。染めるために、どんなに焚こうが、洗おうが光沢は消えないですね。大島はやっぱりいいですね。

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Écoute. Parfois, la vie exige un changement. Une transition. Comme les saisons. On a eu un printemps merveilleux, mais l'été est fini et nous avons manqué l'automne. Tout d'un coup, il fait froid, si froid que tout se met à [...]

 

テーブルセンターー縞着物地

「元気よと言ひしを悔いる敬老会」(鈴木かね)

今日は、9月第三月曜の休日。台風一過後、真っ青な空となり清々しい正に体育祭日和。さて今日が何の休日なのか、スーパーもあやかって売り出したいところが若者の意識が希薄なのか、せいぜい赤飯が売り出されるぐらいなのでしょうか。新聞だけは、今日という日を忘れぬかのように数値が並びます。65歳以上が総人口の27.7%。90歳以上が200万人超え。「大負担時代」などと言われると、ついつい存在が消せぬだけに、心だけが萎縮するようです。

敬老の日といふまことに淋しき日」(中村春逸)

有料老人ホームの前を通りましたが、いつになく訪問客万来ともいっていない風でした。「くっそたら」なんて言葉がどこからともなく聞こえて来そうですね。

敬老の日のとしよりをみくびる芸」(瀧春一)

義母は、敬老会の集いなどというのに行くのが嫌いな人でした。私だって無理にでもと引率しても、申し訳なさで途中で何度も退出したものです。無意識に出てくる「おじいちゃん、おばあちゃん」という言葉。若い人にすれば、懸命の愛情表現のつもりなのでしょうが、これほど傷つけている言葉もないのかもしれません。おまけに、折り紙に色塗り、童謡合唱、しりとり、じゃんけんゲームではね...

「反逆す敬老の日を出歩きて」(大川俊江)

そうです。今日という日は、じっと家で掛かかるでもない電話やメールや宅急便など待たずに、颯爽と街並みを闊歩しましょう。

 

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曾祖母の着物の袖を並べて縫い合わせ土台にしてテーブルセンターにしてみました。片端から朱色の八掛が見えます。

La Journée du respect pour les personnes âgées (敬老の日Keirō no hi?) est un jour férié au Japon, célébré chaque année en l'honneur des personnes âgées1. Elle est devenue fête nationale pour la première fois en 1966. Célébrée initialement tous les 15 septembre, depuis 2003, elle a lieu le troisième lundi du mois de septembre, afin de créer un long week-end.

Cette fête nationale remonte à 1947, lorsque le village de Nomadani-mura (plus tard Yachiyo-cho, actuellement Taka-cho), dans la Préfecture de Hyōgo, a proclamé le 15 septembre « Jour des vieilles personnes (としよりの日Toshiyori no hi?) ». Sa popularité s'est étendue au niveau national, et, en 1966, elle a pris son nom et son statut actuels. Chaque année, les médias japonais profitent de l'occasion pour présenter des personnes âgées et faire un rapport sur la population, en mettant en évidence les personnes les plus âgées du pays.

 

 

型染テーブルセンター菫模様

「大いなる台風図日本おびやかす」(右城暮石)

朝からラジオのニュースは台風警報一辺倒。こちら関西は雨も降らず穏やかですが、こうなると、この三連休の旅路をキャンセルされた方は歯ぎしりされているのでしょうか。折角、暑さも収まり遠出でもと思っておられる方、明日の敬老の日に因んで高齢の両親や曾祖母を連れ出そうと思われた方は、どんな変更アイデアを模索されておられるのでしょうね。

「台風の進路誘導出来ざるや」(右城暮石)

ホント、天気だけは思うようにならぬもの。遊興施設、観光地、宿屋さんのこの三日連休の痛手は大きいのでしょうね。何より、すでに直撃を受けた宮古島など、手塩に掛けたバナナは壊滅だとか。すべてが天災だけとは、言えないようで、海水温の上昇が大型化しているかと聞くと、我が身でなせることを痛感するのですが...

「酔芙蓉酔ふこともなく台風過」(河野冨美子)

漸く咲き出した酔芙蓉が朝から大きく揺すられています。ちらちら咲いた白い花はどれだけ生き残れることやら。このまま静かに過ぎ去ることを祈っています。

「台風の空のつづきでありにけり」(稲畑汀子

被害に遭われた方々、お見舞い申し上げます。

 

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これは木綿に染めているので、柄がくっきりと染まっているので、映えるのでしょうか、迷わず目に留まった途端買って下さいました。ありがとうございます。

“Tout homme marié sait pourquoi l'on donne des prénoms féminins aux typhons.”

 

 

 

 

 

 

型染テーブルセンター細幅

「小刀や鉛筆を削り梨を剥く」(正岡子規

『え!!』思われる方も多いでしょうが、何となくこの行間がしみじみとわかるような気がします。

 以前BSTVでやっていた「名探偵モンク」というのが好きだったのですが、主人公のエイドリアン・モンクは強迫性障害を持ちながら、抜群の記憶力と推理力であらゆる難事件を解決するという番組なのですが、彼の潔癖症は秀逸で、アシスタントの女性はいつもウエットティッシュを所持し、彼が他人と握手したり何かに接触するとそれで拭き取らないといけないのです。そんな彼がこの句を読んだら絶叫するでしょうね。

 加齢が進むと、あらゆる事に対する気力も失せというよりも、免疫力が強靭となるのでしょうか、何事にも横着になります。そうして、ふと鉛筆削りの必需品だった肥後守が手元にあると、「まあ、これでいいか」っとなってしまう我が身が情けなくなる、そんな嘆息の句なのでしょうか。

また、そんな無意識でもないのですが、所作をまるで犬畜生でも見るように思っている他人に思いを馳せるとはたと手が止まるのでしょか。私にもきっと、そんな所作が多々あるはずが、傍のそんな所作ばかりが気になる自分に気づかされる句です。

「梨剥くと皮垂れ届く妻の肘」(田川飛旅)

この季節が来ると、父の実家から二十世紀梨が木箱で届き、おがくずに収まった中から夕食後、母が食卓テーブルにナイフと皿を持って来て座り込んで剥いてくれたものでした。そうして我ら三匹子豚兄弟は母の連なって渦巻になった梨の皮を捕まえては長さを比べて遊んだものでした。

「薄く薄く梨の皮剥くあきらめよ」(神野紗希)

一時、いかに薄く切らずに剥けるか、キャベツを限りなく細い千切りにするかにこだわり続けた頃もあったはずなのですが、気づけば、最近リンゴも梨も、先ず櫛型に切ってからそれに沿って呆気なく剥いてしまっています。何とも風情のない剥き方ですね。そんな所作はどんな風に映ることやら、学ぶは、一字「寛容」でしょうか。

 

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シルクに若冲の天井画だけを並べ型染して、着物の衿の部分を縫い付けてみました。若い方が玄関壁に掛けて飾ってみますと、お買い上げ下さりました。ありがとうございます。

 

“Un arbitre est chargé de couper la poire en deux au moyen du fil à couper le beurre.”