切り切りMme

自作の切り絵を紹介する

クリスマスカード③

「冬の鹿頸細々と木枝嗅ぐ」(長谷川かな女)

鹿は冬になると全身が灰褐色になり、冬の森では保護色として働くのだそうです。

今更ですが、とりあえず。

「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋はかなしき」(蝉丸太夫)

かるた取りでは、こぞって取った札の一つでしょうか、今朝の折々の言葉でより一層鹿の冬色がくっきりしてきます。

『鏡を見ない野生の鹿か何かが地下鉄に乗っているようだ」(酒井駒子

スマホだけが生きがいのように、車中でなりふりも構わず興じている手の白さにじっと見つめてしまう時があります。他の頼る者の無き姿が自然に同化するしか身を守ることのできない鹿のか弱さと重なりますと

「鹿鳴くや沼の底より泡ひとつ」(凡茶)

座間市の遺体事件の記事を読んでいますと、事件発覚で白石容疑者に会わなかった女性の事、何度か彼のサイトで話題を共有して頼りにしていた人の事が書かれていました。家族も友人ともコミュニケーションがとれなくなっている人達は、自分の色を捨てて何かに守られようと必死ですり寄ろうとしているのでしょうか。そう思うとこのSNSの世界に歯止めはないのでしょうか。

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Au profond de la montagne, - Ecartant et foulant les feuilles d'érable - Lecerf brame; - Et à l'entendre ainsi, - Ah! que l'automne m'est lourdementtriste!

 

 

 

クリスマスカード②

「蛙眠り雀膨らむ一茶の忌」(本谷英基)

11月19日は小林一茶1827年の忌日。確かに、外気が冷たく蛙もおちおちしておれず慌てて冬ごもりしたでしょうか。見かけなくなった雀ですが、枯れ枝に留った姿はフクフクして来ました。冬支度と、ストーブを出し、裏起毛の下着にズボンを引っ張り出します。ふくよかになるのは、着膨れるばかりの私です。

「一茶忌や人の世のもの生臭さ」(野田ゆたか)

今朝、郵便受けの隙間から一週間も前に投函されていた喪中葉書を発見。絶句です。最近はほとんどの方が家族葬をされるので、12月になる前のこの時期になると、喪中葉書を頂くことで初めてご不幸を知る事となり、この時期はたった一枚の葉書でその方のこの一年の思いが鬱々と頭を過り、今更ながら手を合わせることしか出来ないのかと、疎遠の吊れなさを悔いるばかりです。うちも去年この時期に喪中葉書を出しましたが、こういう一文で済ませるのは出す方は気が楽ですが、貰う方は置き所ない思いが募るものですね。

「一茶忌に滑稽の句覚束な」(斎藤紫々)

さてと、どんな句を引っ張り出してみましょうか。気持ちが浮上しますように。

「青空に指で字を書く秋の暮」

「夕日影町いっぱいのとんぼかな」

「寒月や喰ひつきさうな鬼瓦」

「大根引大根で道を教へけり」

「猫の子がちょいと押へるおち葉かな」

合掌。

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Rosée que ce mondeRosée que ce monde-ciOui, sans doute et pourtant4(Issa)

 

 

クリスマスカード①

「雲低しどんよりとして冬めきぬ」(前田甲山)

一週間違いで、つくづく良かったなあっと思う今日の雨です。先週の土曜日は何としても雨だけは降って欲しくなく、前日まで気を揉みましたが、何とか雨だけは降らず凌ぐことが出来、誰の御蔭にしても感謝感謝の一日。今日のどんより墨色、すっかり冬色となり、一週間も経つかと時の過ぎる速さに今更後ろめたさが居座ります。

「冬めくと思ひしことも朝のうち」(稲畑汀子

朝のスマホの目覚ましと止めながら寝床で思う事。その決意の有効期限はAM止まり。

「冬めくはまだ少し先油断あり」(稲畑汀子

12月にはまだまだあるなどと思っていてはいけないはずが、ついついまだまだと思ってしまいます。12月1日から一週間超久しぶりに国外へ。完全に個人旅行なので色々下調べしておかないとと思いつつ...

 

来週の集まり用に少し手抜きながらクリスマスカード作りです。会合も人数が増え5セット作成です。立体は今回は見送ろうかと。ごめんなさい。

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“La véritable amitié ne gèle pas en hiver.”

 

シルエットを生かしてー「亜人」から

「銀杏のひかりになるまで猫でゐる」(田中亜美)

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上野に「運慶」を見に行った折に撮った写メなので、もう五日も経ちましたから、今はもう落葉しているのでしょうか。並んだ二本でしたが、どんな違いじたのか、緑と黄色の対になっていました。子供の成長も似たようなものなのでしょうかと、ふと二本の落葉ぶりをみてしまっています。比べる性は捨てられないのでしょうかしらね。

「銀杏の自爆の様に落ち砕け」(鈴木阿久)

LINEの『誤爆』という言葉を知りました。元々は、爆弾やミサイルを目標地から外れて攻撃した事を指すようで、かなり大げさな表現のようにも思えますが、ついついどころか日常茶飯事にやっている私としては、痛感です。それが12月から削除出来るようになるのだとか。「やったね!」と思う人も多いのでしょうが、弊害は付き物。また、確認という習慣づけが滞ります。f:id:masasarah:20171117113817j:plain

亜人というアニメの画像から切絵にして、亜人のいろんなポーズをシルエットにして散らしてみましたが...

“L’erreur est humaine. Persévérer est diabolique.”

 

 

 

シルエットを生かしてーお坊さんの生け花

「いつ咲いていつまでとなく花八手」(田畑美穂女)

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「棲みつきて表札古りて花八手」(古屋信子)

大きな門構えのおうちの前庭にある八手です。八手というと中庭の葉陰に苔むす土地にたたずむように思いますが、ここではすっかり高木になっています。さて人が住んでおられるのやら..

「歩かぬは万病の因(もと)花八手」(高澤良一)

切絵に明け暮れていると、歩数が三桁止まりの日も多く、老後がどうなるやらと思いつつも外に出るとすぐに一時間を無駄にするかと思うと在宅のみになるばかりです。

「八手咲くうそ暖かくうそ寒く」(相生垣瓜人)

庭に放置したままの月下美人の葉が茶褐色なっているのに気づき、慌てて成金草にオリヅルランに、カニサボテンと屋内に入れてやりました。もう霜も降りていたのでしょうが、まだ茄子に唐辛子、苦瓜、冬瓜には花がつきます。でもそろそろ片付けないといけないですね。

 

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サイズの合う額の縁色が白かったので、下絵の残った紅葉型を伏せてカラースプレーで色付けしてみました。

 

C'est toujours la même histoire, en temps de guerre comme en temps de paix, en été comme en hiver, cette nécessité de ne pas être seul. Cet appétit d'être aimé.

 

シルエットを生かしてーお坊さんのお茶

「攫(さら)はれるほどの子ならず七五三」(亀田虎童子)

最近、我が子を紹介するのに「愚息」などという言い方はしないのでしょうか。私は小学校高学年で160センチはあったので、バスに乗ると子供料金を入れる度に睨まれたりしたものですから、母は必ず私を紹介する時に「ウドの大木で」と言っていたものですが、さて最近のモンスターペアレントになると、子供のことはどんな風に紹介するのでしょうね。この句のように誘拐、略奪される程でもないとは、何ともユニークな謙遜ながら、その行間には自慢せずにはおれない親の思いがひしひしと伝わって来ますが、先日、座間市の9人の身元が掲載されましたが、そのどの方の親御さん達も昔今日という日に神社で何枚も写真を撮られたことかと思うと、やるせなさは募ります。

「合わす手の小さくずれた七五三」(今瀬一博)

一途に祈りをささげたはず幼子の末期にしては、余りにも悲惨ながら、これはまた救えなかった社会構造の在り方を考え直す機会にしなくてはいけないのですね。

「花嫁を見上げて七五三の子よ」(大串章

夢みた花嫁姿を達することなく、見届けることもなかった親御さん。神社の婚礼も減り、都会では人々は孤立化するばかりなのでしょうか。顔のないネット社会だけにすがっているのかと思うと、手の届かなくなるばかりの恐怖が募ります。今日ぐらい神社仏閣に足を向けて、手を合わせてみたいものです。

 

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新聞に紅葉を紹介してあった写真をそのまま切り取り、お坊さんのお茶する姿をシルエットにして切り、背景の紅葉を少しアレンジして、朱色の和紙を和模様に細かく切り、赤、オレンジ、黄色のセロファンで切った紅葉を重ねてみました。セロファンの紅葉をもっと細かいのを張り合わせてもよかったでしょうか。

Si vous vous ennuyez avec les medias sociaux, c’est parce que vous essayez d’obtenir plus de valeur que vous créez. 

 

 

 

 

 

若冲画譜からー未央柳

「ふと咲けば山茶花の散りはじめかな」(平井照敏

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新宿御苑の落羽松の乱舞を見ようと今年で三年目。一年目は11月の末で全ての羽根はおちてしまっており、二年目は少々早めと11月初めに訪れましたら早すぎて漸く紅葉したところで、鳥と風の来るのを何時間となく待ちましたが拝めず、今年はと10日に訪れましたが、あと数日で乱舞だったようで、一葉、一葉の舞う姿はそれでも見る事が出来ました。これを目的で来られる方もちらほら居られ。「来週末が見ごろじゃなお」とトボトボ帰られてました。森のように緑の多い御苑ですが、意外に鳥が来ないようで、枝を揺する風も来ず大変残念でした。散るのは山茶花の花びらとは。

山茶花や無口の人居て無口」(前田倫子)

暫し、葉の落ちる姿に目を凝らす時間というのに、人の声は無用ですね。人それぞれながら、無口な人の集まりを傍で見ていると、皆心が沈んでいはしないかと思うのは、おしゃべり好きの人の思いだけのことで、無口な人というのは、無音の世界が心地よいものなのでしょうね。そうしていると、その中で、声なき声と対話しているのでしょうか。人の耳というのは聴覚センサーであるだけなのでしょうか、脳が常に篩にかけているらしく、ご都合良く情報処理をしているのだそうですね。それも、個々の脳のする事。どんなにITが進もうとも勝てないというよりわがままな代物、大事にいつまでも使えるといいのですが...

 

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このシリーズの備蓄もなくなり、さて、新たなる試みを模索中です。何か新鮮な事がしたいですが...

“L’oreille n’est rien de plus qu’une porte.”