切り切りMme

自作の切り絵を紹介する

NHKテレビ「LIFE」よりーオモえもん②

「往く先の門にミモザの花さかり」(池下よし子)

今日はGoogleロゴに、朝日新聞の一面からも、「これでもかこれでもか」と言わんばかりに無視すれば○○ハラスになるのかと言わんばかりに、文字ばかりが際立っていますが、「国際女性デー」。女性へミモザを贈るのが定番だと、振り返れば数年では利かないのかもしれませんが、ある3月8日に実家を訪れるにあたり、何としてもミモザを届けたくて梅田の花屋中を探したのですが、どこにも売っておらず悔しい思いをしたことがあります。近年はこの風習も浸透してきたのか、花屋は黄色く染まっているようです。偶々、隣街のスーパー安売りに遠出しましたら、ラッキー。見事に咲いていました。

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「曖昧を厭ひてミモザのひたすら黄」(密門令子)

色の好みというのは、人の性格を反映するのでしょうね。私の一番好きな色は、ターコイズブルー。「白黒はっきりせい」でもないのですが、この色は青とも緑ともつかぬ中途半端な色で、性格的に受容出来ない人が居るのだそうです。その点、このミモザという花は、だれも色塗りをするのに躊躇する人は居ないでしょうね。「丁か半か」「裏か表か」見事にばっさりと取捨選択されますね。

「咲き初めしミモザの空の青さかな」(黒川悦子)

また、これほど空の青が映える花もないでしょうね。

「死ぬなら客死ミモザの壯んなる」(吉村たけを)

何事も、ハッキリできない私ですが、この花がこよなく好きです。願わくば...

 

少し、丁寧に仕上げようかと、再度オモえもん挑戦ですが...

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La Journée Internationale de la femme, fêtée dans le monde entier chaque 08 Mars, est très populaire en Italie, et est appelée communément "la fête de la femme". Chaque année le 08 Mars en Italie, il est de tradition d'offrir du Mimosa aux femmes de son entourage. C'est également l'occasion pour les Italiennes de se retrouver au restaurant entre femmes... Mais quelles sont les origines de ces traditions.

NHKテレビ「LIFE」よりーオモえもん①

いかなごの漁けふの解禁の海の色」(戸栗末廣)

家の沈丁花はまだ香り出しませんが、毎年の事ながら、いよいよ甘辛いイカナゴの炊ける匂いと共に春は来ます。今日は解禁日ですが、年々海水の温度が上がって来た所為で、イカナゴには不向きになって来たとかで、不漁の声が今年も聞こえて来ます。界隈では、どこもかしこも、「え?そんなん?高いねえ」と一キロの値段情報が飛び交います。

いかなごの釘煮と書かれ春のバス」(大東由美子)

近所の百円ショップの店頭には、折箱が山積みされます。郵便局のエクスパック売りの出店も登場しますと、町中がいかなご一色になります。

いかなごが解禁となる鍋洗ふ」(清水芳秀)

大概の家では、アルミの広口鍋が専用に仕舞い込まれているのでしょうが、我が家は電磁調理台ですので、アルミが使えず邪道ながら、電気フライパンで炊きます。さて、いつ頃になったらお手頃値段になるやらと、駆け引きに追われます。

 

星野源の着ぐるみ「オモえもん」の表情が切りたくて挑戦してみましたが、まだまだ顔写真からの切り絵は未熟です。黒の濃淡で陰影を被せていくというのをやってみたいのですが、技術不足。単純に黒だけで縁取り切にして、目の周りの隅は紫のセロファンでしましたが、あの何とも言えない様変わりする表情が出ません。

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“L’automne est une mutation, l’hiver une lutte, le printemps un épanouissement.”

ランチョンマットイスラム模様と押し花コラボ2-4

「運命を笑ひ待ちをり卒業す」(高浜虚子

入試もそろそろ大詰め。国立の試験も終わり後は吉報を待つのみ。心穏やかでない親子も多いのでしょうか。この句が作られたのは昭和14年。当時としては学卒ともなれば超エリート待遇になったのでしょうが、戦争色が染まり出す時期、前途は暗雲立ち込めていたのでしょうか。

「これより恋や事業や水温む」(高浜虚子

神社の手水も温んで来たと、毎朝散歩で手向いている主人の言葉です。さてさて、私も懲りずに、先日の湊川公園手しごと市で声掛けして頂き、4月9日から三日間、明石のフリマに出展する事にしました。お近くに住まわれた方、是非お立ち寄りくださいませ。

 

明石公園の桜は見事です。ちょうど見頃の頃になるでしょうか。春らしい作品を少しでもご用意できればと、押し花作りもしましょうかしら。乞うご期待を。

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“Le repentir est le printemps des vertus.”

 

ランチョンマットイスラム模様と押し花コラボ2-3

「うごめけるかや啓蟄の土のいろ」(岡星明)

今日は二十四節気啓蟄。「啓」は「ひらく」で「蟄」は巣ごもりを意味するとの事で、思わず庭に出て土をじっくり眺めてみます。花のなかった枯れ果てた庭でしたが、カタバミが色鮮やかに咲いています。

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啓蟄や押し方馴れし車椅子」(三村八郎)

車椅子を押すのに、押された地面の下の生きものなどに気が入った事など、恥ずかしくもなかったです。アスファルトの地面しか通った事がないからなどと、弁解がましいですが、心の余裕のなさを今更に痛感します。いつも何を考えながら押していたのでしょうね。アスファルトなのにある凸凹、ちょっとした段差には、常に注意は払うものの、押す側の立場でしかなかったです。今は、もう車椅子の存在も無くなり、行き交う人の中に車椅子を押す人を見かけると、先ず目に留まるのが車輪の大きさ。日進月歩どんどん進化しているのでしょうね。軽量化も進んでいるのでしょうが、乗り心地からすれば車輪の大きいずっしり重いのが一番心地よいのでしょうね。今後は乗る立場になるかと思うと、押す人の気持ちはどこかに書き留めて置かなくてはと思いつつ...

啓蟄やいのちあるもの地に動き」(堀尾早苗)

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Le jingzhe (chinois traditionnel : 驚蟄, simplifié : 惊蛰, japonais : 啓蟄, pinyin : jīngzhé ; littéralement : « fin de l’hibernation des insectes ») est la troisième des vingt-quatre périodes solaires des calendriers traditionnels d’Extrême-Orient. Il est précédé par le yushui (« eau de pluie ») et suivi par le chunfen (équinoxe de printemps).

Le jingzhe débute lorsque le Soleil atteint une longitude de 345° le long de l’écliptique (ce qui a lieu selon les années entre le 5 et le 7 mars) et se termine lorsqu’il est à la longitude 360° (vers le 20 ou 21 mars).

En japonais, le jingzhe se prononce keichitsu, en coréen gyeongchip (경칩) et en vietnamien kinh trập.

 

ランチョンマットイスラム模様と押し花コラボ2-2

「葉にそむく椿や花のよそ心」(芭蕉

今年は冬の間に南側のフェンスに茂った西表朝顔の蔓をとことん処分し陽射し遮られなかったのか、椿に沢山蕾が付きました。漸く咲きだしましたが、どういう訳か花びらがすぐに茶けて来ます。余り別嬪さんではありませんが、ワンショット。この句の通り、葉の反逆に遭い、中々いいアングルにはなりません。

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「うらめしやあちら向きたる花つばき」(コ斎)

実は、今日の午後4時からのテレビをカレンダーにまで印を入れて楽しみにしていましたのに、どうも東京NHKのみの放送のようです。自称「星野源」ファンなのですが、中でも木曜日の10;:25「LIFE」のオモえもんが好きで、今日の4時からその総集編だと先日言っていましたので、何だかポッコリ穴が開いたようですっと、トホトホf**;  木曜日夜は、別チャンネルのアドラー心理学「嫌われる勇気」をベースにしたドラマも見たいのですが、25分で切り上げては「源ちゃん」みたさにチャンネルを替えている人、私だけでないのでしょうね。オモえもんファンも多いのか、良い画像を見つけましたが、さてこれを切り絵にしたら、著作権問題になるのでしょうね。JASRACと音楽教育の線引きはどうなるのか、今に無闇に口ずさむ事すら憚られるのでしょうか。クワバラクワバラ。

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La Société japonaise des droits des auteurs, des compositeurs et des éditeurs (社団法人日本音楽著作権協会, Shadanhōjin Nihon Ongaku Chosakuken Kyōkai?), souvent référée à la JASRAC (ジャスラック, Jasurakku?) est une société de gestion des droits d'auteur. Elle a été fondée en 1939 en tant qu'organisation à but non lucratif, et est la plus grande administration du copyright au Japon.

雛祭りオンパレード

「病室の母に小さき雛飾る」(林まあこ)

そう言えば、去年も手製の雛飾りを作り、義母の枕元の壁に落ちないように、介護士さんの邪魔にならないようにと、限りなく小さいのを両面テープで留めたのでした。右半身麻痺の義母にはその存在も季節の変わり目も意識にはなかったのでしょうか。こうなるまでは、出歩くのが好きな好奇心旺盛な方でしたから、上手に買い物をされ自室には小さな雛がちょこっと飾ってありました。そおっと、最後の折に、隅に沈めましたが、気付いてくれたでしょうか。

「雛飾りつつふと命惜しきかな」(星野立子

『立子忌』は春の季語。三月三日が命日とは、何とも哀しい重なりでしょうか。義母の誕生日は2月26日で、妹も二月だったそうで、四姉妹でしたから、雛祭りと重ねたお祝いは、さぞ賑やかだったのでしょうか。ちらし寿司を作るのが何より好きな方で、教わったはずなのに、寿司桶も仕舞われたまま、日の目を見る事もないようでは、申訳ない限りですね。

「手に受けて少し戻して雛あられ」鷹羽狩行

この仕草は、まさに大正生まれの義母のそのまま。義母の手は、90歳を過ぎても艶々していて、私の血管が浮き上がるようなしなびた手とは真逆で、手に限らず何もかもが対照形で、平行線ばかりの日々が今も幾度となく過っては手を合わせます。今日は、向こうで幼子に戻って姉妹で、雛あられを慎ましく分け合いながら、雛祭りを楽しんで居られることでしょう。 沈めたはずの雛飾りを飾ってくれていますように。

 

フリマでは、雛飾りの額が二点売れましたがグリーティングカードは一枚も売れませんでした。クリスマスと違い、わざわざお雛さんにお手紙など出さないのですね。いい勉強になります。今日という日に

因んで、雛グッズ再アップです。

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Les jours précédant le 3 mars, les petites filles japonaises exposent de précieuses poupées posées sur des petites estrades à plusieurs niveaux. Ces poupées spéciales, qui se transmettent parfois de génération en génération, sont rangées dans un carton tout le reste de l'année. Elles représentent des personnages de la cour impériale de l'ère Heian (平安時代?).

ランチョンマットイスラム模様と押し花コラボ2-1

「親しみをまだそのままに春炬燵」(加納幸子)

今朝は早くに強い雨が降り、昨夜も私は爆睡していたので気付きませんでしたが、雨模様だったようで、今日は一日雨の日なのかと思っていましたら、太陽が覗いて来ました。一気に草木の新芽が伸びそうですが、まだまだほっこり炬燵の布団を畳むまでにはならず、ついつい。

「春炬燵一寸と入りてそのままに」(大西吉子)

意思の弱い私には、炬燵は足を引っ張る代物でしかないのかもしれませんが、どこか図太いのでしょうね。先日、新聞の特集で「依存症」の記事で気付いたのですが、概して「弱い性格」が原因なのだと思いがちですが、真逆なのだそうですね。「人に依存できない病」「否認の病」だと言われるのだそうです。誰にも頼らず、完璧を求め続けるが故に、自分すらも認めることが出来ず、人間外に心を許す術しかなくなるのだとか。数日前の事、「あなたの作品は雑やね」と声にはならずとも、顔一面に物語ってくれる人がありまして、凹み続けて全ての作品をもし暖炉が目の前にあったらザバッと放り込みたくなりましたが、打たれ強いなあっと我ながら実感しています。「酸っぱい葡萄」さながら、その方がドンドンと干乾しにされていきます。ご指摘頂き感謝し学習しないといけないのですが、俗人ですね。

「さてさてと掛け声ばかり春炬燵」(林雄次郎)

昔、ピアノの発表会での私と姉の事で母の言葉が過ります。「お姉ちゃんはピアノの前に座った途端に泣き出さんばかりで、間違えたらあかんと思うのやろね、中々弾きだせないのに、あんたは、もうこっちが恥ずかしくなるわ。間違えようが弾き直そうが、顔色一つ変えずに平気な顔して弾き終らせるんやからね。ホンマにしゃーないね。何でもっと練習しとかんのや」

 

お陰様で、暖炉もなくすべての作品をまたもや衣装ケースに仕舞い込み、次なる出品先を行脚します。懲りずに、乞うご期待下さいませ。

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“Le mal est double : il y a celui qui ne dépend pas de nous et celui qui en dépend.”