切り切りMme

自作の切り絵を紹介する

二つの丸の写経③

「荒東風や紙片が蝶に化けるとき」(泉田秋硯)

冷たい風も北から東へと吹く向きも変わり、春の香りを運んできます。まだ化けてはいないのですが、近所の大手スーパーの前のシンボルマークにもなっていましたカルタゴ像がゴッソリと剥ぎ取られ消えていました。駅からの本通り商店街の終点にあり、四方にある学校の通学路が交差するところにあり、何かにつけて集合場所となっておりまして、通称「カメ」として何十年も君臨していたのですが、その無くなった後のセメントの平面を見ていると、村上春樹の「象の消滅」という作品が過ります。

f:id:masasarah:20170315103534j:plain

「東風吹かばポテトチップス歩み寄る」(小枝恵美子)

さて、次なるモニュメントはどんな物が来るのでしょうね。まさかポテトチップスではないでしょうが、ちょこっと楽しみです。消えてみると俗称はカメでしたが、実物像はカメより複雑な構造でそれなりの芸術品であったように思うのですが、通称というのは愛着感が出ます。同じでも、寿司屋の注文の呼び名、競り市の名称、受け渡しに用いられる金の言い方などとなると、よそ者お断り感が漂いますが、今話題つきない「こんにゃく」は、紙幣の厚さを表しているのだそうですね。一万円札は厚さが0.1ミリなのだとか。背広のポケットを全て使うと二千万円入れられるのだとか。自分の財布はパンパンに膨れ上がっていますが、財布ご本人は役割果されず泣いているのかもしれません。消滅したカメの地面も、あの役割は呆気なく掻き消え、新たなる物が鎮座してしまうと、またそれが当たり前になるのでしょうね。こんにゃくにだけは麻痺したくないですが...

 

f:id:masasarah:20170315110258j:plain

L'éléphant s'évapore (象の消滅, Zō no shōmetsu?) est un recueil de nouvelles de l'écrivain japonais Haruki Murakami. La version française (éditée deux fois : en 1998 aux Éditions du Seuil, puis en 2008 aux Éditions Belfond) comporte dix-sept nouvelles publiées de 1980 à 1991, reprises dans divers recueils au Japon durant les décennies 1980 et 19901, puis rassemblées dans la compilation en anglais The Elephant Vanishes (1993), dont la version française suit le sommaire2.

Murakami place ses personnages dans un Japon à la culture moderne et occidentalisée avec, en arrière-plan, l'amour et la nostalgie comme thèmes principaux. Les événements et les pensées les plus irréalistes et étonnants, souvent teintés d'humour, prennent une place prépondérante dans le développement de l'intrigue.

二つの丸の写経②

「小数点以下省略のカキツバタ」(永末恵子)

少し季節外れの句ですが、今日3月14日は、円周率3.14にひっかけて、円周率の日であり、数学の日なのだそうです。いつからの事なのか、今は円周率は3と教えているのだそうですね。母にそんな事を話したら目を三角にして怒り狂うかもしれません。「丸にはならんぞ!それじゃあ角の立った六角形!」などと...

小学生の頃は、母の数学猛進は凄まじいもので、国語ではどんなに悪い点をとっても大丈夫なのですが、算数が出来ないなどはまさに「impossible」で、perfect でないと、とことんお小言を食らったものでした。幸い、世渡り上手な二女である私と、弟は難を逃れられたのですが、姉は哀れにも一人母の矢面に立たされていました。そうして、三人とも国語ダメ人間になってのですから、世の中「三つ子の魂百まで」とはよく言ったものです。

「銀漢や円周率が割り切れぬ」(笹原興一)

銀漢とは天の川。思えば、母という人は、何でもすっぱりと割り切らないと気が済まない人だったのでしょうね。それに対して、情の中から生まれたような父はさながら銀漢だったのかなあっと。お水取りも終焉というのに、今日はよく冷えます。桜の蕾も固く閉ざしていますが、ここ数日でほころび出すかと思うと、心のゴメイサンも暖気に左右されるのかもしれません。やはり丸は限りなく丸く、六角形ではありたくないですが、これでは、母が乗り移っていますね。

 

写経も母譲りです。これまで一体何枚書いたことやら。周期的にやりたくなりますが、今は切るだけです。

f:id:masasarah:20170314154347j:plain

Pi, appelé parfois constante d’Archimèdea, est un nombre représenté par la lettre grecque du même nom (minuscule et en italique) : π. C’est le rapport constant de la circonférence d’un cercle à son diamètre dans un plan euclidien. On peut également le définir comme le rapport de la superficie d’un cercle au carré de son rayon.

Sa valeur approchée par défaut à moins de 0,5×10–15 prèsb est 3,141 592 653 589 793 en écriture décimale1,2.

 

二つの丸の写経①

「飛行機雲空にかけ上る枯野に春」(中野万里)

昨日の空は、どんな状況が重なったのでしょうか、何筋にも飛行機雲が引かれていました。まるで、飛行機が雲を引いているようでしたが、寒い時期独特の出来方なのだそうですね。それに対して、蒸し暑い時期は、飛行機が撒き散らした排気ガス物質に飽和した水蒸気が付着してできる場合が多くなって、飛行機が飛び去ってしばらくしてから筋状の雲ができるのだそうです。昨日は義母の納骨を致しました。一筋伸びる空の線に義母が乗っかってパラダイスに登ったような気が致しました。見守り下さい。ありがとう。

f:id:masasarah:20170313112701j:plain

 

「水取のけふを知らねばただ寒し」(百合山羽公)

お水取りも14日までと。いよいよ春の到来。昨日から、春場所も始まりました。とりあえずほっと胸を撫でおろされた方も多いでしょうね。4横綱が揃うのは17年ぶりとか。心配される中、好スタートとなった稀勢の里。地元大阪初入幕の宇良も勝ち、スリムになった逸之城も頑張りました。春めきますね。相撲の間だけは、家庭円満なんて家も多いのかもしれません。実は、実家も相撲機関だけは父母も話題が尽きず楽しい夕餉でしたが、商談もまとまりやすい時期となるのでしょうかっと、仕事の世界は無知の私には皆目つかめません。でも、空にスーッと線が引かれたら、何かが吹っ切れるような気になって欲しいです。

 

3月に誕生日を迎える息子のために毎年写経切り絵をしています。今年は円状に描いてあるのを見つけて切り出すことにしました。字体は私の手書きです。

f:id:masasarah:20170313105307j:plain

 

 

 

またビュフェ③ー二人のピエロ

 

今日3月12日は伊東静雄1953年の忌日。萩原朔太郎から「日本にまだ一人、詩人が残っていた」と言わしめた人。一作品を引用して今日の日を紡ぎましょうか。

 

静かなクセニエ(わが友の独白)


私の切り離された行動に、書かうと思へば誰
でもクセニエを書くことが出来る。又その慾
望を持つものだ。私が真面目であればある程
に。

 と言つて、たれかれの私に寄するクセニエ

に、一向私は恐れない。私も同様、その気な
ら(一層辛辣に)それを彼らに寄することが
出来るから。
 しかし安穏を私は愛するので、その片よつ
た力で衆愚を唆すクセニエから、私は自分を
衛らねばならぬ。
 そこでたつた一つ方法が私に残る。それは
自分で自分にクセニエを寄することである。
 私はそのクセニエの中で、いかにも悠々と
振舞ふ。たれかれの私に寄するクセニエに、
寛大にうなづき、愛嬌いい挨拶をかはし、さ
うすることで、彼らの風上に立つのである。
悪口を言つた人間に慇懃にすることは、いつ
美徳で、この美徳に会つてくづほれぬ人間は
少ない。私は彼らの思ひついた語句を、いか
にも勿体らしく受領し、苦笑をかくして冠の
様にかぶり、彼らの目の前で、彼らの慧眼を
讚めたたへるのである。私は、幼児から投げ
られる父親を、力弱いと思ひこむものは一人
も居らぬことを、完全にのみこんでゐてかう
する。
 しかし、私は私なりのものを尊ぶので、決
して粗野な彼らの言葉を、その儘には受領し
ない。いかにも私の丈に合ふやうに、却つて、
それで瀟洒に見える様、それを裁ち直すのだ。
 あゝ! かうして私は静かなクセニエを書
かねばならぬ!

 

f:id:masasarah:20170312101708j:plain

 

 

またビュフェ②-オレンジ服のピエロ

「震災忌向あうて蕎麦啜りけり」(久保田万太郎

東日本大震災、あれから6年です。震災で15893人が死亡。行方不明者はいまも2553人。震災関連死は3523人。今も約34000人の方が仮設住宅で避難生活を続けられているのだそうです。それぞれの方々の少しでも将来に光がさすことを祈るばかりです。

「泣きながらご飯を食べたことある人は、生きていけます」

今朝の朝日新聞「折々のことば」の引用です。TBS系のテレビドラマ「カルテット」の台詞です。確か、すずめちゃんと巻さんがカツ丼をそう言いながら食べるシーンだったような。私もしょっぱいご飯は食べたことがあります。いつだったかも、何故の涙だったのでしょうね。でも、何度も味わったような気がします。負けん気が強かったのでしょうね。でも、ご飯だけはガツガツ食べていました。まだまだ、ご不自由な思いをされておられる方々も、まだまだ、冷える日々、温かい白湯でもが、絶品になりますように。

 

f:id:masasarah:20170311173029j:plain

“Rien ne peut compenser une seule larme d'un seul enfant.”

またビュフェ①ー楽器

「薔薇の芽がああだこうだと赤い息」(木戸渥子)

朝方、外に出てみると路面が濡れているのを見て、昨夜の雨を知りました。庭に目をやると、「あれ、今頃咲く赤い花なんてあったかしら」と。雨に濡れ一層映えるのにそそられ近づけば、薔薇の新芽です。

f:id:masasarah:20170310113155j:plain

「薔薇芽吹く怠惰の刻のあるもよし」(布川直幸)

薔薇スペシャリストに見られたら、さぞや怒られるような剪定をネグレクトされた株です。それでも、この時期になるとぐいぐいと新芽が出ます。しかし、怠慢のしっぺ返しは裏切ることなく訪れ、滅多に花が咲ききりません。

「薔薇の芽や胸の奥処の炎立つ」(後藤真由美)

ヒステリーという語を最近聞かなくなったように思うのですが、これもセクハラ禁句奨励に即しているのでしょうか。昔は女性の代名詞だったのか、どこにでもヒステリックな女性がゴロゴロ居たような気がします。最近は、更年期障害も男女同等扱いされますから、ヒステリーは男性、特に高齢者によくみられる現象でしょうか。私の母ははこの典型女性でしたが、最近自分にもその症状が出るようになり、少し母の心の中が見えて来ます。薔薇の棘とは言わないものの、あの棘にも訳があるのでしょうね。

「薔薇の芽の真実しゃく赫し迷ふとき」(名取すみ子)

 

ビュフェ好きの人へと、少し切ってみました。額はフランイングタイガーで買いました。ガラス製で、横の取っ手を引き上げると開き、中に写真などを挟むことが出来ます。サイズは10センチ角ぐらいですが、ちょっとおしゃれな感じで気に入ってます。

f:id:masasarah:20170310115527j:plain

“C’est si rare maintenant quand une femme a du tempérament, que quand une femme en a, on dit que c’est de l’hystérie.”

   

 

NHKテレビ「LIFE」よりーうそ太郎

「点けてあること忘れゐし春暖炉」(相沢有理子)

寒戻りで奥に仕舞い込まれがちでしたダウンジャケットを引っ掛け、ストーブに寄り添ってしまいますが、ついつい暖かさに慣れてしまうと、点けていた事を忘れます。正に、思考も判断力も同じなのでしょうね。安穏と、鱗が何層にも重なってしまった目の前に、脳の中のカメラロールに保存されていない生命体が現れたら、少しは鱗が落ちるでしょうか。そうでもしない限り、私の厚い鱗は一層も剥がれないのかと思いつつも、心地よい暖房の温かさから抜け出せません。

「未練とは春の暖炉のやうな物」(山田弘子)

今更になりますが、村上春樹の新書出版の話題に慌て、「多崎つくる」を読み出しました。その中で、つくるは親友だと信じてやまなかった4人から一瞬にして絶交されます。理由は自分に問うてみろとだけ告げられます。まだそこまでで話の続きは読み終えていないので、どんな終焉となるのか気になるところで、何とも申し上げられませんが、こんな事件も私には必要なのでしょうね。今夜は、楽しみにしていましたNHKテレビ「LIFE]の最終回で、オモえもんともお別れになります。もっと、学習できる材料を集めないといけないのだろうなあっと思いつつ、まだよく冷える日々。外に出るには気おくればかりです。

「弾き了えしギターを膝に春暖炉」(田中春生)

 

「すいやせん うそつきやした」のセリフの字が少し小さかったのが失敗。写真を切る時に皺をどうするかが、まだまだ未熟で凹凸の選択に迷うばかりです。切り絵は凹凸の二選択しかなく、濃淡をどう表すかが今後の探求のしどころになるのでしょうね。一時、点描画を持ち込もうとしたのですが、途中で止めてしまっていますが、新たな発想を模索中。

f:id:masasarah:20170309092034j:plain

“Le regard indifférent est un perpétuel adieu.”