切り切りMme

自作の切り絵を紹介する

Robert Doisneauー浜辺の戯れ

「おのずから月やどるべきひまもなく 池に蓮の花咲きにけり」西行

まさに、不忍池に今頃行くと、びっしりと葉が敷き詰められ一部の水面も見えなくなっている所があるでしょうね。風に揺れるあの葉を見ると、誰しも、幼き頃にあの葉に水滴を落として遊んだ光景が思い浮かぶのではないでしょうか。小さな水滴が一つ落とす毎に吸い寄せられるように葉の上の水滴が大きなくなり、まるで生き物のように、重みが増すとつるりと粒が潰れて小さな玉になって転げるように葉からこぼれ落ちます。

「静けさ朝音たてて白き蓮の花の咲くきぬ」(啄木)

蓮の花の開く音と言えば、皆が「ポン」と異口同音に賛成されることでしょうが、実は、これは間違いなのだそうですね。蓮の花はとてもゆっくり花弁を開けていくので、そんな勢いのいい音はしないそうです。でも、このように蓮の花の咲く音を謡った句は多々あります。誰も聞いた事のない音のはずなのに、皆が判で押したように「ポン」と言う。

これは聞こえる音の話ですが、日本人と西洋人では言語以外の音に対する聞き方に違いがあるのだそうですね。日本人は虫の音も、動物の鳴き声も、風の音も雨の音も川のせせらぎも、言語と同じく左脳で聴くのだそうです。西洋人は言語以外の音を言語とは区別して雑音として右脳で処理するのだそうです。それ故、日本語には、翻訳泣かせの、擬態語擬音語が豊富になってしまったとか。いかに日本人が自然と密接に暮らして来たのかを表しているのでしょうね。そうして、心の耳というのも発達させたのかもしれません。禅問答のようですが、静かな朝早くに、心を澄ましていると、蓮池には蓮の声が有るか無きか。

犬は「ワンワン」猫は「ニャンニャン」鳴くのを聞く体験をする前から、周知となっているように、様々な音が「声」として左脳に刷りこまれている事があるのでしょうね。幼少の頃の体験から残った記憶と、刷り込みによる記憶。どちらが鮮明かと言えば甲乙つけがたく、それ故にか刷り込みの文化とは何か空恐ろしさを感じます。

 

そろそろ写真シリーズもピリオドかな。構図の勉強になるかと思っていますが、ググればググるほど、度肝を抜くような奇抜な枠取りに、ついついあれもこれもとやりたくなります。巨匠に脱帽です。

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Parler est bien, écrire est mieux; imprimer est excellent chose.  Car si votre pensée est bonne, on en profite, mauvaise, on la corrige et l’on profite encore.