切り切りMme

自作の切り絵を紹介する

型染め型第二弾ー小花模様

「熱帯産のくせにバナナは厚着かな」(神谷九楽)

大きなバナナの葉が茂る茎に、茶色くなったカボチャの形の変なものがぶら下がっています。余りおいしそうには見えません。これは昨日の夕刊の掲載されていた写真です。よく見ればというか、読めば、バナナカステラを上手に束ねて植物園のバナナの木にぶら下げたものでした。この菓子は、東京の土産物屋さん定番の「東京ばな菜」とはかなりイメージが違います。バナナとほぼ同寸同形のカステラで中身は白餡。ほのかなバナナの香りがします。表面のカステラにBANANAと凸型の浮き文字が入っています。

この浮き上がった文字をひたすら見ていた事があります。テーブルの上の銀の皿に盛られていました。そのテーブルを囲むかのように、いとこ達がトランプ何かをしていたのでしょうか。でも、私は叔母がその皿をテーブルに置いた時からそれをずうっと見ていたのです。食事の後だったのでしょうか、誰もそれを食べようとはしません。盛られた数はたぶん人数分以上はあったと思います。心の中で、「どうぞ、誰か手に取って下さい」と念じ続けていましたが、結局誰も手に取ることはなく、その会はお開きとなってそのバナナの皿は片づけられ、その家を家族と共に退去したのでした。それが私のバナナカステラとの初顔合わせです。

いとこ達にはその菓子は、「またかあ」みたいなありきたりの菓子だったのでしょうが、私にはとても魅力的な物に見えて、本心は食べたくて食べたくて仕方なかったのです。では、どうして食べなかったのかと思いますか?それが食べられないのです。祖母が言っていたことなのか、「よそに呼ばれたら、出された物は、どんな物でも、さっと手を出して食べない事、誰かが手を出したら、おもむろに頂くこと。遠慮なくなどと言われれば、なおさらの事」なんて言う変な流儀が刷り込まれていたのです。

この記事にも書かれていましたが、この菓子はどうも、西高東低のようで、東京では人形焼が定番のようで余り馴染みがないもののようです。最近では関西でも余り見かけなくなったような気がします。

「バナナむく吾台湾に兵たりし」(鈴木栄一)

「一本のバナナと昭和生まれかな」(北迫正男)

バナナが日本に台湾から初輸入されたのは1903年。63年に輸入が自由化されるまでは、ぜいたく品だったそうです。そうして、その代用品として作られたのがこのバナナカステラ。もはや、そんな代用品で腹を満たす必要などなくなり、あの大きさをおやつにしたりしたら、食事に差しさわりが出来てしまうという飽食の時代となりました。今の菓子は、限りなく小さく、甘みは抑えられ、上品になりました。パティシエなんて言葉に、意味不明の読めない横文字を冠した店屋でないと流行らない世。もし、この世に大飢饉が来るようなことになったら皆が声を揃えて言うのでしょうか「パンがないなら、お菓子があるじゃないの」なんて。

 

小花をデザイン化したのを切ってみました。これをひとつずつ切って、生地に散らしたり、他の柄の横に添えたりして染めてみようかと思っています。

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La banane est à la vertu ce que l’espoir est à la soupe.