切り切りMme

自作の切り絵を紹介する

額入り:小花

「母よりの用なき頼り柿の秋」(西山春文)

先日栗を買おうと思い、八百屋に尋ねたら、「栗は果物屋さんですよ」とのこと。「昔は、栗も扱ってたけどね。スイカもうちじゃ扱わなくなったよ」それもそうですね。銀杏は八百屋にありました。何だか不思議です。西瓜を栽培するのは、農家で、カボチャや茄子トマトにキュウリなどと同じ畑地で作りますが、どういう出荷ルートに分岐していくのでしょうね。柿の木にしたって、どこの農家にも植えてあったように思いますが、農家に限らず、どこの家にもありましたが、マンション住まいの方には無縁の代物となり、一戸建ての家でもわざわざ渋柿など植える家はないのでしょうね。果物屋に並んだ、傷も黒ずみもないお行儀の良い全色薄オレンジ色の富有柿ではなく、尖った少し黒ずんだような、熟した柿は、故郷の郷愁を誘いますね。

「里ふりて柿の木もたぬ家もなし」(松尾芭蕉

実家には一体何本の柿の木があったでしょうか。どれもこれもが渋柿でした。好きだったのは、焼酎漬け。日にちが経つと、ジュクジュクに熟れてスプーンで掬うようにして食べますが、極め付けが種の周りのゼリー状になった部分。これ食べたさに、何個も食べてはお腹を冷やしてしまい下してしまっては、「何度言ったら分かるのかしらね。何事も限度があるでしょう」と呆れられたものです。

「日と風に甘さ募らす柿簾」(稲福昌一)

柿は竹竿で取ります。今は便利な先に鋏のような物がついた長い柄の道具を使い、手元で操作して、枝を切り落とさないように折り挟み込んで手元に戻して切り外します。吊るし柿は、ひとつずつ皮を剥き、茎元の枝を少し残し、その枝を紐に引っ掛けながら吊るしてゆき、軒に竿に通して干します。日に日に赤茶色に乾き、甘さが増し増す。

「渋柿のとり残されてあはれ也」(正岡子規

空き家でなくとも、住人には魅力のない物なのか、熟して落ちた実が道路で押しつぶされているのを見かけます。母が見たらさぞや嘆くことだろうなあっと、葬る術も知らず踏まないように通り過ぎるだけ。せめて、木のあるうちなら鳥さんを喜ばせられたでしょうにね。柿の死骸に合掌。

 

切り置いていました作品をフリマに向けて額に納める作業を始めました。小品をスプレーペインで光沢をつけてみました。

http://minatogawa-mart.net/concept.html

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“Quand le fruit est mûr, il tombe.”