切り切りMme

自作の切り絵を紹介する

額入り:鳥獣戯画

「胸さびしゆゑにあかるき十三夜」(石原八束)

スーパー様々です。昼間に出向いたスーパーに白と黄色をピラミッド状に積み上げた団子が売っていて、やたらと枝豆が売っているのが目立ち、ハタと気が付きました。今夜は『後の月』『十三夜』だったのですね。今、日が落ちて空を見上げたら見事な月が浮かんでいました。少々、今日は昨日のフリマの疲れというかフリマ間際まであの段取りの疲れだったのでしょうか、一日ぼうっとしてしまいました。自分の未熟者も弁えず、自画自賛におぼれていたのが、一気に沈没した気分です。

「横笛にわれは墨する後の月」

この月は、『栗名月』とも呼ばれ、団子に栗や枝豆を供えるのだそうですね。栗が旬を迎えましたが、今年は値がはるのか、買い求めたのは一度限り。あの皮剥きを想像すると触手が伸びません。先日は五百グラム入りを二袋買ったのですが、一袋は小ぶりで、大きいのはたやすく剥けたのですが、小ぶりの方を剥きだしたら、固くて腕は痺れてきて、中々減らない皮つきの栗を見ていた時の事をふと思い出しました。細かい図案の作品が好きでついつい切りだしてしまうのですが、細かい何千もありそうな粒を一つずつ切り出します。一向にその粒はいつまでも切り取られないのが並んでいます。まだ、千分の一も切っていないなあっと、全体を見ると気が遠くなります。でも、固い栗と同じで、剥いた実が並ぶ、切り抜かれたところが透けてくる。そんな後姿を見ていると、いつのまにか、千分の一が、百分の一に、十分の一にと、五分の一、二分の一。それでも、まだ半分あるけど、確実に減っていくのです。それが気が付いたら空目で数える数になるのです。母は絶対に私に墨汁が買ってくれずに、いつも墨を磨らせ、「才がなくとも、根だけは植えつけられる」と刷り込まれました。横笛は聞こえぬ月夜ですが、硯を出して墨を磨るのも悪くない夜ですね。

「大皿を洗って仕舞う後の月」(東莎逍)

今度はフリマの出展を二月にする予定です。詰め込んだスーツケースを仕舞いました。やりそびれてしまった細密の作品をゆっくり時間をかけてやろうと思います。

10月30日から11月8日まで京都非公開文化財特別公開、信行寺の若冲の天井絵を見に行けたらなあっと思っています。

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La vie de famille requient une force, une persévérance, un oublie de soi dont le bonheur de ses membres est le fruit.