切り切りMme

自作の切り絵を紹介する

wall sticker:鳥獣戯画②

「障子しめて四方の紅葉を感じとり」(星野立子

昨夜テレビで京都の神護寺のライトアップされた紅葉を報道していました。それは見事な紅色に染まった楓でした。雨の後の石段は濡れてそこに落ち葉が敷き詰められていく姿も映され、苦労して足を向けなくても、良いとこ撮りした美食だけを味えました。そういえば、近所の桜並木も、早々と散り急いでいましたが、自分の目はテレビの撮影者のように上手にスポット当てて、見る訳でもなく、茶けた葉、虫食いの葉、黒ずんだ葉ばかりに目がいきます。今日の「折々のことば」にありました。

「美しいものを見るためには目は美しくなければならない。青い目がなくてはどうして本当の青い空が見えようか」(ガストン・バシュラール

今日は「1」が重なる日で、いろんな語呂合わせが出来、記念日またぞろです。「十(プラス)」「一(マイナス)」のイメージから「電池の日」、「1111」が麺に見えるから「麺の日」、靴下二足が並んで見えるから「靴下の日」。そうして、「11月11日」が「いい日いい日」のごろ合わせで、厚生労働省が2008年に「いい日、いい日、毎日、あったか介護ありがとう」のスローガンの下に、「介護の日」と制定されたそうです。

「にわとりも昼の真下で紅葉す」(あざ蓉子)

介護保険が導入されて15年。一昔前までは、ヨメの務めとして、対価も評価も感謝も期待すべきものではないことがノーマルな事でしたが、その介護体制は劇的に変わったようです。介護という、家庭内の閉鎖的な事であったのが、外からの風を受け入れることに抵抗がなくなり、まさに、介護の社会化が進んでいるようです。でも実際の所、地域差、事業者の資質など、利用者の手腕次第と言ったところが歪めないような部分があります。老々介護ともなれば、利用者のリサーチ力を誰がアドバイスできるのでしょうか。数年前までは、耳にすることもなかった「小規模多機能型居宅介護」などと書かれた車もよく見かけるようになりました。それでも、それがどんなものかも分からずに、一人で全てを背負って、共倒れ寸前の方も減ってはいないような気がします。

「かたつもり紅葉の中に老いにけり」(大串章

「『食』という字は、人を良くすると書く」と、胸を張って言える人が居たら、私は只々、下を向くばかりです。人を笑顔に出来るような、食が作れたらとは思いますが、きっと、青い目がない目であるように、同じ味覚にもなれなくては笑顔を産むことは容易くはいかないのでしょうね。それをプロに委ねるというのが、今後もっと間口が広がるように介護体制のノーマル化を望むばかりです。

「全山をさかさまに散る紅葉」(岡田芳べえ)

被介護者ともなれば、こうとも叫んでみたくなるのかもしれません。被写体の向こうに同化できる目を磨きたいものです。

検索をかけた画像のコピーの拡大がマチマチになり、大きさが統一されていません。それも配置次第で遠近できるかなあっと、そのまま個々切っています。

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Pour être heureux, il faut penser au bonheur d'un autre (Gaston Bachelard)