切り切りMme

自作の切り絵を紹介する

「今年の括りー暦11月」

「乏しく我が庭に生ゆ冬芽愛づ」(土井木賊)

うちの乏しい庭の梅にも、今朝じっくり眺めているとぷっくりひっそり蕾が浮き出ています。梅は開くより、膨らみだした固い蕾に風情があります。

「命なほひそめて固き冬芽かな」(稲田汀子)

その梅の横のハナミズキも見事に葉は落ちてしまいましたが、今年はほとんど手付かずでしたので、枝が好き放題伸びきったまま、その枝、枝に芽が見えます。

「一と日づつ明日が来るなり冬芽立つ」(大野英美)

昨日の衝撃(?)の最高裁判決をどう受け取られましたでしょうか。私は何を母が思ったのか、名前だけの印鑑を持たせてくれまして、印鑑証明用の印には苗字がありません。大きさの規定さえ従っていれば印鑑証明印はフルネームでなくても通ります。意外に知られていないのか、結婚離婚の度(?)に印鑑を作り替える人の話を聞きます。それにしても、戸籍、免許証、保険などなど苗字の変更は手続きが多々。それだけの問題でもなく、何故に女性だけがと合理性を欠くと思えば、「男女の平等」にそぐわないと言えるはずが、時代錯誤ほどの威力もなく、夫婦同姓規定は合憲と判定されました。さすがに、再婚禁止が6か月というのには、時代錯誤。100日に短縮。枯れ枝に見えし枝にも、この寒風の中でも生命を育み日、一日と芽吹きに向けていきます。

「銀色の光やさしく冬芽かな」(久保田昌子)

社会に定着したという理由というのは、実に強い効力がありますが、それも時代という流れが良くも悪くも崩していく事があります。

「大空に枝張り上げし冬芽かな」(池末あけみ)

出る杭ではなく、新芽が育むことを祈ります。

 

ミューシャ(右上段)ケントの森(左)藤田嗣治のマリア像(右下段)

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Le nom personnel est le nom donné à une personne pour désigner celle-ci de façon unique. Selon la culture, il peut être un ou une série de prénoms ou postnoms. Par opposition au patronyme ou nom de famille, le nom personnel n’est pas hérité.