切り切りMme

自作の切り絵を紹介する

小さな職人たち'huître'

「親芋をむかへ入れたる煮しめかな」(悠)

昨日出店で「かしら」を見つけました。「ああ、懐かしいなあ」そう言えば、長いこと、白みその中に大きなかしらの入った雑煮を食していません。ほっこりとした芋が白みそによく合うのです。縁起物で正月の雑煮には入っていましたが、私はこの芋の入ったドロドロの味噌雑煮が余り好きではなかったような気がしますが、今頃になって無性に食べたくなるというのも不思議なものですね。

「八頭いづこより刃を入れるとも」(飼島晴子)

「かしら」とは八頭(やつがしら)の事です。里芋の中でも、種芋から小芋が成長しないタイプで合体してまるでごつごつ八つの頭があるように見えるからなのでしょうか、中国では九面芋と呼ぶほどに、余り外見はよろしくないですが、煮るとぬめりがすくなくホクホクして美味です。巷によく出回っている里芋は、種芋(親芋)から小芋が出来てそちらに栄養が行き渡り親芋は痩せていき、子供はプクプク大きくなっていきます。

「泥土のぽくり剥がれし白き芋」

里芋堀をやらされたことがありますが、骨の折れる作業です。スコップで掘り起こして、親芋の周囲にあるびっしりと何個もくっついている小芋を一つずつばらしていきます。元々湿地向きなので、掘り起こされた芋には泥が纏いついていますから、寒い冬の作業は、冷たい泥土との格闘です。軟弱な私はビニール手袋が欠かせませんが、滑って中々剥がれ落ちてはくれません。やはり軍手でガッツガッツとばらす手は早く、私独りが、いつまでもひと塊をばらすのにかかっていたような役立たずでした。

「手に長く垂らしずゐきの皮を引く」(高野素十)

母がよく日向でこうやって里芋の茎の皮剥きをしていた光景が浮かびます。上手に下ごしらえをしないと里芋の茎は灰汁がつよくて食べられたものではありません。母も井戸端ネット情報を駆使して試行錯誤しては、懲りずに酢の物、炒めものなどよく作ってくれたものですが、口に入れると、えぐみがいつまでも残ったり、のどが痒くなったりとかなり手こずったものです。でも、これも今ではわざわざ「いもがら」と書いた乾燥させたずいきを買って来ている私です。

先日は、クレージュ(Courrèges)が昨日はデビット・ボウイさんが亡くなられました。どんなに時は流れても、流されずに、また積み重なっていく物があるのだと、オブジェ作家大野良平さんの制作記事を読みながら実感しています。阪神淡路大震災の再生を願い、兵庫県宝塚市武庫川の中州に石を積み巨大な文字づくりを繰り返されているのだそうです。台風、豪雨で流れる度に積み直すそうですが、今年は16日のライトアップ迄はテンペストがありませぬように。

'huître'とは牡蠣です。こんな職業があるのですね。おかしな事にこの「小さな職人たち」には必ずフランス語が入っているのですが、〇〇職人という単語にはなっていません??

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André Courrèges, né le à Pau (Basses-Pyrénées), et mort le à Neuilly-sur-Seine1,2, est un couturier français, fondateur de la maison Courrèges. Promoteur de la minijupe et du pantalon pour les femmes, dès le début des années 1960 il crée une mode fonctionnelle, architecturée, symbole de son époque, et qui inspirera à la suite de nombreux stylistes par ses formes géométriques et l'omniprésence du blanc.