切り切りMme

自作の切り絵を紹介する

手提げ鞄:鳥獣戯画

「節分の明けて雀の旗日かな」(中村房江)

今日は立春の前日の節分。最近では、豆撒きよりも恵方巻きの方が盛んなのだそうです。確かに、炒った大豆を外に内にと撒いたら、翌日はどうしたものでしょうね。近所の目が気になる世の中、またズボラ主婦には、この機会にと部屋の隅に溜まった埃迄もが気になるのは苦渋。

「節分の一夜に使う枡捜す」(鈴木栄子)

実家では、節分の日には裏の神社に家族其々歳の数の豆を合わせて半紙に包んで、主がお供えに行くことになっていたような気がします。母が朝から焙烙で豆を長い時間かけて炒り上げ、夕食が終わると枡に入った豆を、歳の数を考えながら取ります。一度で取った豆の数がぴったり数え年の数と重なると、その年は良い年になるのだと言われ、願を掛けて当たりをつけて握ったものですが、「ねえちゃん、ずっこい、数えたらアカンで」っと、数粒の数に弟と必死になったものでした。

「節分や来し方思ひ豆数ふ」(川島吉太郎)

一度で握り切れない曽祖父の豆の数をいつも魔物をみるかのように眺めていたものでした。お供えから戻って来た豆を歳の数だけ食べるのですが、母の炒った豆は香ばしく美味しいのに、私達の豆は呆気なくなくなり、祖母などは、入れ歯には負担なのか、半分も食べきられずに、残すのを恨めしく見ていたものです。醤油を掛けて膨らむのを待ってから何日も掛けて食べるのでした。「うわあーまずそう」折角、カリカリポリポリ美味しいのにと、食べてしまわない年寄り達の心境がさっぱりわからないガキでした。

「節分や親子の年の近うなる」(正岡子規

さて、どうしようかなあっと、まだ決めかねています。スーパーに行けば、今日は様々な巻きずしがずらりと並んでいるでしょうね。鰯一本を芯にした巻きずしもあるとか。ちゃんと骨が抜いてあるのだそうです。和風に限らず、豚カツやら生ハムにサーモン、アボガドにレタスなどなどバリエーション豊富。でも、アナゴ、卵焼き、三つ葉に椎茸に干瓢が端から飛び出した部分食べたさに、やっぱり手作りするかなあっと、米を洗うかどうしたものか、昼迄逡巡しそうです。

「豆撒きて磁石独り見恵方巻き」

認知症徘徊者の列車事故死の家族監督責任に対する最高裁法廷が始まりました。判決は3月1日に出るのだそうです。今夜は、鬼に扮する爺に豆を撒き、方角がどっちやなどと言いながら巻きずしを頬張り喉を詰めては、笑い声の絶えぬ、そんな家族の温もりが回想となる人、夢想になる人、嫌悪する人、背ける人、抵抗する人、通り過ぎるだけの人、置き去りにされた人、さて実感できる人が居るのかと、危惧しながら窓辺に映る家族の影を追うことになりそうです。

鳥獣戯画の絵柄の中でも、兎や蛙は凸型に草木を凹型にして二度染めにするつもりでしたが、試みに重ねて糊置きしてみました。鞄の柄は紐が細くなり過ぎたので、薄紫の紐と三つ編みにして作ってみました。

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La tradition veut que l'on mange un ehōmaki en un seul morceau lors de Setsubun, le 3 février, dans la direction ehō (恵方?) afin d'être heureux le reste de l'année. Ehō est la direction annuelle d'eto (干支?), qui représente les douze signes du zodiaque chinois.

Au Japon, cette coutume débuta à l'ère Heian (794-1185). En 1872, le Japon adopta le calendrier solaire et décréta que la coutume ehō était une superstition. Il semblerait cependant que la coutume de l’ehōmaki commença sous l'ère Edo au Kansai.