切り切りMme

自作の切り絵を紹介する

ブックカバー③

「瑞穂なる国の真水や紀元節」(関根洋子)

2月11日は建国記念日。戦前の紀元節は、戦後昭和23年に国民の祝日法制定にあたり、日本国憲法の理念にふさわしくないものとして廃止され、昭和41年に祝日法改正に基づいて、建国記念の日として復活されました。

日本書紀によると神武天皇が橿原の宮に即位の日は「辛酉の年春5月庚辰朔日」で神武紀元元年正月朔日を陽暦に換算すると2月11日にあたるという

紀元節唱歌おのづと口ずさみ」(徳永辰夫)

母が洗濯に料理にミシン掛けをしながら口ずさんでいたのが「空にかがやく日のもとのよらづの国にたぐいなき」。よく聞かされたのがシンガポール陥落の提灯行列で皆が万歳を斉唱した話です。調べてみまたしたら、「万歳」という言葉が「ばんざい」として発したのが、大日本帝国憲法発布の日、1889年2月11日、明治天皇の馬車に向かって、万歳三唱したのが最初なのだそうです。最初の三唱は「万歳、万歳、万々歳」と唱和するものであったが、最初の「万歳」で馬車の馬が驚いて立ち止まってしまい、そのため二声目の「万歳」は小声となり、三声目の「万々歳」は言えずじまいに終わったのだそうです。当初は文部大臣森有礼が発する語として「奉賀」を提案されたのだそうですが、「連呼すると『ア・ホウガ(阿呆が)』と聞こえる」という理由から却下されまた、「万歳」として呉音の「マンザイ」と読む案もありましたが、「マ」では「腹に力が入らない」とされたため、謡曲高砂の「千秋楽」の「千秋楽は民を撫で、萬歳楽(バンザイラク)には命を延ぶ」と合わせ、漢音呉音の混用を問わずに「万歳(バンザイ)」とされたのだそうです。

「老いぼれの背筋をぴんと紀元節」(磯崎清) 

昨日の日経MJの特集記事で目に留まったのですが、最近「ゴロゴロ寝」の出来るカフェや野球観戦場が人気なのだそうです。横並びに寝そべっているとスマホを見せ合うのが楽だからとか、家だと寝転びながら食べていると怒られるだけに、その罪悪感へのワクワク感が味わえるとか、小さな子供連れでも食事を楽しめるとか、人の目を気にせずに出来るのがいいのでしょうが、ここまで来ると、内も外もないのでしょうかしらね。昭和のテレビ映像などが映ると、子供でもが卓袱台(ちゃぶだい)に背筋を伸ばして座っていた姿勢。内の中にも礼儀があったというのに、今では、外までが内になってしまっているのでしょうかしら。

「忠義てふはるかなる死語紀元節」(塩路隆子)

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Banzai (万歳, ばんざい?), littéralement « 10 000 ans », est la prononciation et la forme simplifiée japonaise d'une exclamation chinoise, utilisé dans la sphère d'influence de la culture chinoise et utilisée pour souhaiter la longévité et par extension, lors de célébrations, d'événements heureux, le bonheur[réf. nécessaire] à une tierce personne, à une

Elle est apparue sous la Chine impériale pour souhaiter une longue vie à l'empereur, souvent lorsqu'on le salue ou pour marquer l'approbation d'une de ses décisions. On ajoute alors après le nom du chef de l'état la phrase « wànsuì wànsuì wànwànsuì » (万岁!万岁!万万岁! / 萬歲!萬歲!萬萬歲!), cette phrase est généralement criée à l'unisson par l'ensemble des personnes présentes. Cette coutume est restée jusqu'à la fin de l'Empire chinois en 1911 et sera encore utilisé sur certaines affiches à la gloire de Mao Zedong.

Elle fut introduite au Japon au viiie siècle et se prononçait alors banzei (ばんぜい?) et était utilisée, comme en Chine, pour témoigner du respect à l'empereur. Cette prononciation dura jusqu'à la restauration Meiji.