切り切りMme

自作の切り絵を紹介する

春が来る:桜柄

「お水送り近づきたれば若狭路の雪の晴れ間の光明るき」(内田あき子)

修二会の行の一環であるお水送りの神事が今日行われるのですね。

>奈良東大寺の《お水取り》に先駆けて、若狭神宮寺と遠敷川(おにゅうがわ)・鵜の瀬(うのせ)でおごそかに繰り広げられる伝統行事である。

いつの事でしたか、この地に観光バスから降りて参らせてもらった事がありますが、さて、いつ誰と何処へのついでだったのか皆目思い出せません。

>当地の伝承では、ある年、東大寺二月堂の修二会で神名帳を読んで全国の神を招いたが、遠敷明神は漁に夢中で時を忘れ遅刻してしまった。そのお詫びとして、遠敷明神は二月堂の本尊である十一面観音にお供えする閼伽水を送ると約束したという。鵜の瀬と呼ばれる渕は二月堂の若狭井に通じているとされている。

若狭の小浜は、シルクロードの玄関口として伝えられているのだそうですが、この伝統行事の背景には、こんな大陸文化との歴史の足跡が鮮明に残されているのですね。

>三月二日の夜、若狭神宮寺にて韃靼(だったん)の行が行われ、上流の鵜の瀬からお香水が遠敷川へ注がれる。そのお香水は十日かかって、二月堂の若狭井に届くとされている。

千二百数十年、一度も途絶えることなく続く二月堂の修二会。いつもの事ですが、実に春の到来を実感する報ですね。

「雪汁か若狭の水のつめたさよ」(玄海

まだまだ、水は冷たいです。心まで冷たくなるような事件が続く中、昨日のJR徘徊事故の遺族勝訴のニュースには少し、雪解け、水送りが届いたような気が致しました。

「梅か香に若狭の水の勢ひかな」(白洞)

桜の潔さに比べ、梅の香は、寒い冬の冷え切った人の心をほぐしてくれるような気がします。梅が解し、桜がざっぱと要らぬものを削除するのでしょうか。それは個々の気持ちの整理にして、常に社会の目としての個々は他への思いやる眼差しだけを持ち続けたいものです。それがあらゆる事故へのストッパーになることだと、私も躊躇わず無用の用の声掛けから出せればと思います。「おはよう」「こんにちは」「お出掛け」「いい日和で」「冷えますね」「きいつけて」「おはようおかえり」...

「若狭の水呼ぶ声ききに二月堂」(松瀬青々)

 

少し気は早いですが、桜の飛び出すカードです。紙質は厚紙のマーメイドを使っています。上質の薄紙の和紙を上に貼っています。

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Omizutori : le rituel de l’eau[modifier | modifier le code]

Omizu-tori (お水取り?) signifie littéralement « cérémonie du puisage de l’eau » ou « de l’arrivée de l’eau » ; Laurence Berthier donne pour titre de sa thèse le « rituel de l’eau de Jouvence »7. Il s’agit du rituel le plus sacré du Shuni-e2.

En contrebas du Nigatsu-dō se trouve un puits nommé Wakasa-i, où l’eau de jaillit qu’une fois par an début mars1. La légende dit qu’elle parvient au temple après avoir circulé dix jours sous la ville d’Obama ; d’ailleurs, le 2 mars a lieu la cérémonie du départ de l’eau sacrée (Omizuokuri) dans le temple Jingu-ji le long de la rivière Onyu-gawa (préfecture de Fukui)8. Après le rituel du feu la dernière nuit du Shuni-e, les moines puisent l’eau du puits à la lumière de torches, afin de l’offrir à Kannon et au public vers deux heures du matin2. Elle est réputée pour avoir des vertus curatives. L’eau est par ailleurs transférée dans deux jarres : l’une contient un peu d’eau des quelque 1250 festivals passés depuis 752, l’autre sert à recueillir l’eau nouvelle. Ce rituel s’inscrit dans les courants syncrétiques (bouddhisme et shinto) en tirant son origine, ses pratiques et les divinités honorées tant du bouddhisme que du shinto9.