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切り切りMme

自作の切り絵を紹介する

クリスマスカード①

「ぬるるもの冬田になかり雨きたる」(水原秋桜子

夜中に雨の音がしたように思いましたら、朝明けてみると道が濡れています。しっとり庭の木々の埃も洗われたようですが、よく冷えます。乾ききった穭田にもしっとり雨があたり株から芽をだした稲も勢いつくでしょうか。今年も言っても暖冬なのでしょうね。山影に薄い桃色が見え隠れして驚きました。ヒラドツツジでしょうか。何だかかわいそうになって来ます。

「荒れ果てて冬田に詫びて祖に詫びて」(森島緋紗子)

言霊とはよく言われ、式典などでは神経をすり減らしスピーチは練るのでしょうが、先日の沖縄でのオスプレイ事故に関する思わず交わされた言葉一つ一つの波紋を思うと、やはり言霊の重みを感じます。同じ思いでも、声となって出た言葉が、冒頭に持ってくるか、末尾にするか、言葉どころか、「てにをは」一つでも重大事になり得るのでしょうが、そこまで受け手の立場になれないのは、発信者の無責任なのでしょうかしら。原発事故からの避難された子供たちへのいじめが漸く問題視されるようになりましたが、言霊の重みを発する側は見えない刃物として自覚しないといけないと、自戒。

 

今年も新バージョンも含め沢山クリスマスカード作りました。これはクリスマスツリーの同じ絵柄を二枚切り、中央で重ね合わせて立体にしました。直線ばかりだと、ケント紙でも二枚重ねて切るのは可能ですが、この作品のようにアールが多い場合は、同じ柄ですが、一枚ずつ切りました。

F:ID:masasarah:20161216105223j:平野

Dans la tradition japonaise, les dieux (kami) inspirent l'esprit des hommes par des mots, et en prononçant ces mots inspirés par les kami, on fait se concrétiser les concepts ; c'est le kototama ou kotodama (言霊?, on trouve les deux transcriptions), que l'on pourrait traduire par « mots-âmes » ou « paroles sacrées ». Ce concept se rapproche des mantra bouddhiques, ou d'autres pratiques de transe. En fait, les cinquante « sons » (syllabes) utilisés en japonais sont considérés comme étant chacun un kami ; le kotodama est le pouvoir spirituel attribué à la langue japonaise.