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切り切りMme

自作の切り絵を紹介する

イスラム模様①-2

「冬茜死んだらどこへゆくんだろう」(志方桜子)

映画「沈黙」の上映が話題になっているのか、古本屋では見つけられず、珍しくKindleで買い求め読み返してみました。筋立てはほとんと原作に映画は忠実でしたし、配役の抜擢も原作を損なわない設定になっていたとは思うのですが、スコセッシ監督の中に日本人作家の遠藤周作への遠慮があったのでしょうか。日本人なら言える事が、監督には

言わせられなかった部分があるのかなあっと。遠藤氏自身がこの作品の中でキリスト教というものに真摯に対峙しようとする部分があったのだと思います。確かに監督にもそれは一つのテーマとしてあったのかもしれないのですが、もう少しフェレイラ司祭に日本人の屈折した信仰の在り方を述べさせても良かったのかなあッと。只、敢えて寡黙にして、ロドリゴ自身の「棄教の有無」の決意に委ねたのには、原作とは違う効果を狙ったのかもしれません。それはタイトルの「沈黙」をどう解釈するか。

「ひと日果つかくもやさしき冬茜」(村松ゆきほ)

踏み絵に重なってイエスの顔が浮かびます。キチジロウの顔がイエスと重なります。イエスを偶像化する日本気質、それに着眼点を見つけるのは日本以外でこの映画が上映された時。それが監督の意図なのでしょうか。立場違えばいろいろに印象が残るかと思うと、話題のトランプ大統領にはどんな印象が残るのやら。大統領令はどこまで続くのか、歯止めになる共和党員は何をしているのでしょうね。

「使い捨てのものに執着冬茜」(河村啓花)

この春の仏選挙もいよいよ本番。FNルペン女史へ、ドミノ倒しになるのやら。冷えた空気で透けるように長く射す日暮れの夕焼けに佇むと、ついつい身勝手には振り払えない思いが募ります。

「過去という時間の積木冬茜」(千田敬)

 

イスラム模様完成です。4日がかりでした。全てが直線切りになりますので、心までがきびきびしていくるようで、こういうカットがやはり好きです。

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 « La vie sans poésie et la vie sans infini, c'est comme un paysage sans ciel : on y étouffe. »