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切り切りMme

自作の切り絵を紹介する

陰影の演習③小栗旬

「名を知りて踏まず地獄の釜の蓋」(柳井梗恒子)

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先日、向かいのおばさんが株分けあげましょうかと見せて下さったのですが、「紫式部清少納言?う?何だったかしら?」「う?う?十二単?」などと、花の名前すらがすっきり出てこなくなったことを嘆きながら別れたのですが、気持ち悪くググっているうちに行きついたのがこの名前。「地獄の釜の蓋」です。この鉢植えの見せていただいたのは外国種で、総称「きらんそう」の一種で、学名アジュガで、十二単と言うようですが、このオドロオドロした名前の種はもう少し花が縦には咲き伸びないようです。よく気にかけていると、どこにでも繁茂しているのを見つけますが、そう言えばよく墓地で見かけるような気がして、名称の由来に勝手に合点してしまいます。祖母が、よくお盆に死者が出ると、「地獄の釜の蓋が開いているからねえ」と聞かされたものですが、この草の場合は、薬草だったようで、「病気を治して地獄の釜の蓋をする」のに因んでいたとか。

「踏み込みしそこは地獄の釜の蓋」(脇和登)

地獄の釜の蓋が開くのは、お正月とお盆。藪入りなどと言われ、みんなが手を休める日としたものですが、こんな言葉も聞かれなくなったのでしょうか。今日4月27日はソクラテスが死刑宣告を受け「悪法も法」として毒杯を煽って亡くなった命日で、「哲学の日」なのだそうです。

「きらん草畦の地べたに咲くあはれ」(山川静夫

その日に因んで、ふと目に留まった図書案内の本「勉強の哲学ー来るべきバカのために」を少しググってみました。

 >慣れ親しんだ「こうするもんだ」から、別の「こうするもんだ」へと移ろうとする狭間における言語的な違和感を見つめる。そしてその違和感を、「言語それ自体として操作する意識」へと発展させる必要がある。

自分なりに考えて比較するというのは、信頼できる情報の比較を、ある程度のところで、享楽的に「中断」することである。

ごくごく当たり前に見ていた物が、ふとしたことで違った名前を付けられるだけで、同じ画像のはずなのに人の目とは不思議ですね。今日一日ぐらい頭の中だけで、時間を潰すことをしてみたいものです。

 

今週の視聴率に「CRISIS」はまだ生き残っていましたね。小栗旬ルパン三世は見そびれてしまいましたが、今更ながら少し陰影演習にやってみましたが、まだまだ無駄な線が多すぎます。

 

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“Si tu n’es pas Socrate, tu dois vivre comme si tu voulais être Socrate