切り切りMme

自作の切り絵を紹介する

塗り絵とイスラム模様②

「梅咲いて庭中に青鮫が来ている」(金子兜太

f:id:masasarah:20180221102558j:plain

うちの猫の額の庭では、こんなスケールの夢想まではしませんが、昨日の春めいた温かさを感じると、草木の青さがみなぎって来そうな気はします。今朝のニュースから金子兜太氏訃報を聞きました。私は名前もですが、覚えるのが超苦手で、「金子」という連想からイメージが湧くのは、「ねむら巴里」の金子光晴氏と、どういう訳が「金原ひとみの父「金原瑞人」。どうも、失礼いたしました。益々、名前と連想がグチャグチャになります。

「れんぎょうに巨鯨の影の月日かな」(金子兜太

98歳だったそうですが、真っ黄色に咲くレンギョウを見ながら、辛苦の過去を例えた巨鯨の影と言い尽くす才には、大事な人が鬼籍となられました。お冥福をお祈りします。

もう少し挙げましょうか。

「樫の木の真顔と冬の光かな」

「谷間谷間に万作が咲く荒凡夫」

「土手に横一線の径ことばの野」

土手ではないですが、先日の平昌オリンピックフィギュアスケートフリー演技の時間帯は、土曜日もあってか瞬間最高関東では視聴率が46%だったそうですが、その後、あちこちで、二人に一人の日本人が「良かったね」という「言葉の野」となったのかと思うと、今更にオリンピックとは平和の祭典の魔力なのですね。どんなマスメディアの策も太刀打ち出来ないとは。これが一時でないような持続性をどこに委ねましょうか、金子さん?

「廃墟という空地に出ればみな和らぐ」

 

f:id:masasarah:20180221105111j:plain

Tōta Kaneko (金子 兜太?) ;  à Chichibu préfecture de Saitama) est un poète japonais.

Kaneko étudie à l'université de Tokyo jusqu'en 1943 puis travaille pour la Banque du Japon. Il commence à écrire de la poésie sous la direction de son père Mitsuharu Kaneko. En tant que poète de haïku, il est influencé par Shūson KatōShizunojo Takeshita et Kusatao Nakamura. Après la guerre, il est l'un des principaux promoteurs du haïku moderne et introduit la métaphore dans la poésie haïku. En 1962, il fonde le groupe Kaitei. Il a publié, en commençant par l'anthologie Shounen, plus de cinquante recueils de poésie. En 2008 il est désigné personne de mérite culturel et en 2010 lauréat du prix Kan Kikuchi.