切り切りMme

自作の切り絵を紹介する

ミニレター:ケルト文字I

「凭(もた)れてはまたしなやかに稲の花」(橋本典子)

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今日は、父の命日少し過ぎましたが墓参りに出向きました。北海道では稲穂がたわわに実っていましたが、実家では漸く花が咲きだしたところ。幼き頃は、台風の来訪の度に、この稲穂がどこまでしなるかで、警報発令に期待したものでしたが、前回の20号では無事だったようで、しっかり御利巧にすくっと立っていました。ということは、実の入りがまだとも言えますね。重たくもたげてこそ豊作のはずです。

「見ぬ人のためにもなるや稲の花」(高桑闌更)

今日で8月も終わり。さてこの日が大正天皇の誕生日っというのは、今の世では知る人はどれだけ居られるでしょうか。それどころか、11月3日天長節つまり、明治天皇誕生日というのも薄れゆく記憶なのでしょうね。偉そうなことは言えず、大正天皇の誕生日が祝日にならなかった理由というのも、なかなか歴史学習にはいい勉強になりそうです。少々ググってみましたが、すぐに忘れるでしょうが、とりあえずそのままアップです。

大正天皇の在位中は「天長節天皇誕生日)」はありました。即位の年と翌年は8月31日に式典が行なわれましたが、酷暑のため10月31日にずらして実施されることになります。→何とも、あ然。希薄さはここから始まったのかもしれません。

>その死後に誕生日や天長節が祝日になることはありませんでした。
その理由としては、亡くなった1920年代半ばという時期の特殊性が考えられます。
この時代は、第一次世界大戦中のロシア革命やドイツ革命の余波でヨーロッパ各国でも君主制が動揺し、国内でも「大正デモクラシー」や労働運動・小作争議の高まりで「革命」の危機感があった時代だったのです。
そんな時代に天皇が病弱であることは、天皇の権威を失墜させかねないし、国内の統治秩序にも問題が生まれかねません。そこで政府は、能力のある若き皇太子を「摂政」という形で前面に押し出し、大正天皇の死後は新天皇に人々の関心を向かせることで、すみやかに天皇のイメージアップをはかろうとしたようです。そのため、「大正」という時代を忘却させるためにも、記念日の類を設定しなかったと考えられます。
なお、天皇家の家内行事である宮中祭祀には「大正天皇例祭」はあります。

→恐れ多いことですが、今日一日ぐらい冥途のご健勝ご拝察致したいです。

「暑さをもしのぎつけけり稲の花」(游刀)

今夜は、Mステですよ!!さてどんなトークに振り付けがあるのか?ワクワク。残念ながら、キャラバン星野源「アイデア号」は見られなかったですが、先日のゲスト出演アサイチと共に録画して、見直しまーす!!皆さんもぜひぜひ見て下さいね。テレビ朝日系20時スタート!

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Taishō Tennō (大正天皇?l'empereur Taishō), connu de son vivant en Occident par son nom personnel Yoshihito (嘉仁? – ), cent vingt-troisième empereur du Japon, règne du  au 25 décembre 1926. Son nom de prince est Haru (Haru no Miya). Selon la tradition impériale japonaise, il est désigné après sa mort par un nom posthume qui, depuis 1868, est identique au nom de l'ère de son règne. Augne de l'empereur Taishō correspond exactement l'ère Taishō (大正時代Taishō jidai?).

Son règne est caractérisé par un renforcement de l'impérialisme et une politique intérieure plutôt libérale. En 1919, il signa un « acte de réforme » et en mars 1925, accepta le principe du suffrage universel. Sous l'ère Taishō, le pays connut un grand essor industriel mais fut marqué par plusieurs événements dramatiques comme la Première Guerre mondiale, une terrible révolte en Corée et un catastrophique tremblement de terre de septembre 1923 qui affecta tout le Kantōet détruisit presque totalement la ville de Tōkyō.