切り切りMme

自作の切り絵を紹介する

細かな花柄オーダー③-4

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4月も半月が過ぎますが、まだ川沿いの桜が満開のまま留まっています。その所為でしょうか、昨日主人は筍掘りに招かれて出かけましたが、枯れ笹に埋もれた芽を捜すのに苦労したようです。管理人さんによれば、桜が散り出さないと芽をださないのだとか。毎年同じ時期に招待されていますから、今年はかなり気候がおかしいのでしょうね。まだ冬物が片付けられません。急いで蒔いた夏野菜の種はまだまだ眠ったままです。

「落球と藤の長さを思ひけり」(あざ蓉子)

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左がうちの藤。右はご近所で名所になっています藤棚。この違いは何なのでしょう。苗を買い求めてから十年以上は経っているとは思うのですが、買い求めた翌年に一房咲いて以来花がついたことがありません。何度も、ググっていますが、「花が咲きません」という検索タイトルがズラズラと出てきます事からも、藤の花付の難易度はかなりレベルが高いようです。ご近所の名所となっています住人に尋ねようかとも思うのですが、ご主人の剪定風景をお見掛けする限り、近寄れそうにない通人のようです。散歩していて、うちと同様に葉ばかり茂った鉢植えを見ると、親近感が増しますが、同罪意識とは。

「死を願う心起こりしことなきや母看る我に問いし人あり」(島村久夫)

「親の死を待ってるような生き方はいやだが他の選択がない」(村上明美

今週の朝日歌壇に選ばれた短歌二首。日本の総人口は減少するばかりの中、高齢者数はうなぎのぼり。そんな中、相変わらず、句にしか募る思いをはけ口に出来ないかのような体制をどうやったら変革できるのでしょうね。先日、英字紙の「親の介護」の記事を読みましたが、親であろうが、介護する人という立場で線引きがされていて、対象が誰であろうともそこには必ず労働としての対価が派生するものという感覚が常識。何とも気持ちいいほどに割りきられた世界。その裏には、冷酷までのシビアな世界があるのかもしれませんが、日本には、まだまだ身内と他人の間に線引きがあるという感覚の壁は厚いですね。それが、「おれおれ詐欺」を生み、高齢者の貯蓄は募るのでしょうか...

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“Celui qui porte aide aux méchants finit par le regretter.”